文化 おぎの歴史探検隊

■昭和小史〈3〉 小城炭鉱があった時代
わが国が自給できるエネルギー源として、昭和10年代から30年代にかけ、石炭産業が花形の時代がありました。当時は日本全国で数多くの炭鉱が操業し、佐賀県にもいくつもの鉱山がありました。その中で小城と関わりが深いのが、東多久にあった小城炭鉱です。
小城炭鉱は昭和15年、中島鉱山株式会社が開鉱した炭鉱で、小城町の一本松古墳群南側の山麓にありました。坑口が2カ所あり、太平洋戦争中の軍需や昭和25年に始まった朝鮮戦争の特需などで、一時期は大いに活況を呈しました。最盛期には3千人近くの従業員が働いたといわれ、地下の坑道は小城町や三日月町まで延びていました。採れた石炭は東多久駅を拠点にして、鉄道で各地に輸送されました。
また、付近には従業員や家族のための炭鉱住宅が立ち並び、マーケットや映画館もある町が生まれました。炭鉱住宅では水場や浴場が共用だったようで、町のグラウンドでは運動会なども行われました。こうした従業員は、小城にも数多く住んでいたようです。
しかし、昭和30年代には石油がエネルギーの主役となり、石炭産業は徐々に衰退。多くの国内の炭鉱が閉山する中、小城炭鉱もついに昭和37年7月、20有余年の歴史にピリオドを打ちました。

小城郷土史研究会/著