文化 学ぼう♪歴史文化遺産

■稲荷鬼塚古墳(いなりおにづかこふん)(愛野町)
広域農道沿いにある6世紀後半から7世紀にかけての円墳と考えられます。令和3年に行った発掘調査では、勾玉や切子玉などの装飾品、馬具とみられる鉄製品、須恵器(すえき)や土師器(はじき)など、細かい破片も含めると5593点の出土品が発見されました。
直径16m以上の円墳で、墳丘上には稲荷神社の社(やしろ)があり、その下に亡くなった人を埋葬する石室があると考えられます。墳丘の裾部や石室の入口には、大きさ40cmを超える基礎石を使った石積みが確認され、非常にしっかりとした造りであったことが分かりました。多くの古墳の石室入口は西を向いていますが、調査の結果、入口が北向き(大牟田方面)と分かりました。古墳に眠る人は、この地域を治め有明海を通して他地域と交流を行っていたと考えられます。
県内でもこのように保存状態が良く、多くの遺物がまとまった状態で出土した例はほとんどありません。また、墳丘上の稲荷神社は少なくとも江戸時代以降に祀られたもので、古墳とともに古くから地域の人々によって護られてきました。稲荷鬼塚古墳は、築造から1,500年以上たつ稲荷鬼塚古墳は、この地域を見守っているように感じられます。
※詳しくは本紙をご覧ください。

問合せ:生涯学習課
【電話】0957-47-7864