- 発行日 :
- 自治体名 : 熊本県菊池市
- 広報紙名 : 広報きくち 令和7年5月号
■福岡県小郡(おごおり)市
▽大保原合戦(おおほばるかっせん)(大原合戦)
南北朝内乱期を描いた軍記文学『太平記(たいへいき)』によると、正平14(1359)年7月、征西将軍宮懐良(かねなが)親王を大将として、菊池武光(きくちたけみつ)らが大宰府に攻め寄せてくるという報を聞いた北朝方の少弐頼尚(しょうによりひさ)は、それを迎え撃とうと筑後に出陣。6万騎の兵で、筑後川を前にして味坂庄(あじさかのしょう)(小郡市味坂地区から久留米市宮ノ陣町一帯)に陣を取りました。
一方の征西府軍(南朝方)は、8千騎の兵で、筑後川を見下ろす高良山、柳坂、水縄山(みのうさん)の3カ所に布陣しました。(軍勢の規模には裏付けがなく、実際には互角か征西府軍が優勢だったのではないかと考えられています)
7月19日、菊池勢はまず手勢5千騎を率いて筑後川を渡りますが、少弐勢は応戦せず、北へ退いて大保原(大原)に陣を取ります。
8月16日(実際は8月6日)夜半、菊池勢は夜討ちに馴れた兵300騎ばかりを少弐勢の搦手(からめて)へ迂回させます。主力の兵7千騎は三手に分け、筑後川に沿って、川音に紛れて少弐陣へ接近。正面の兵が少弐本隊に近付いたのを見るや、搦手からの300騎が一斉に敵陣へ討ち入り、3カ所同時に鬨(とき)の声を上げました。
こうして始まった戦いは半日ほどで勝敗がつきましたが、北朝方は3600人以上、南朝方は1800人以上もの死者が出る激しい戦いとなりました。
2年後の正平16年(1361)8月に、懐良親王は念願の大宰府入りを果たしました。
▽福童(ふくどう)の将軍藤
市南部に位置する大中臣(おおなかとみ)神社(嘉禄年間(1225~1226)創建)の境内にあるのが、福岡県指定天然記念物「福童の将軍藤」です。
大保原合戦で重傷を負った懐良親王が、大中臣神社の主神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)の加護により全快したため、御手植えして奉納したものがこの藤だという伝承があり、地元では古くから「将軍藤」と呼ばれています。
樹齢は約660年とされ、被覆面積約500平方メートルにも及ぶ藤棚には、毎年4月中旬から5月初旬になると濃い紫色の花房が垂れ、周辺には花の香りが漂います。昭和45年に県指定天然記念物となり、現在も地元の人々によって大切に守られています。
問い合わせ先:観光振興課
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