文化 郷の記憶をたどる

私たちが暮らす宇城市の郷土にまつわるさまざまな文化の魅力を発信します

■響ヶ原古戦場に建つ相良堂(相良神社)
天正9(1581)年12月2日、相良義陽(さがらよしひ)と甲斐宗運(かいそううん)の軍勢が響ヶ原古戦場で戦いました。阿蘇氏を討とうとする島津氏に命じられた義陽は、その年の12月1日、八代を出発し御船に向かいました。
はじめに娑婆神峠(さばがみとうげ)(豊野町と小川町の境)に陣をおいた義陽は、家臣たちに美里町の赤峯尾(あかみねお)城、甲佐町の豊内(とようち)城を攻めさせ、相良軍が勝利し敵の大将を打ち取りました。
翌日、義陽は豊野町の響ヶ原に陣を進め、その夜、兵をねぎらう宴を開いていました。甲斐宗運はその隙をみて、義陽の陣地へ攻め込みました。不意を突かれた相良軍は、大将の義陽をはじめ多くの戦死者を出しました。(勇志七十余人、雑兵二百余人)
戦場となった響ヶ原には、義陽をはじめ戦で死んだたくさんの兵士の魂を弔うため供養碑(相良堂)が建てられました。
2人はもともと盟友で、領土不可侵の約束を交わしていたにも関わらず、戦わざるを得なかったことから、義陽は悲劇の武将として伝えられ、古戦場も相良神社として地域で守られています。
言い伝えによれば、戦のあった12月2日の夜に響ヶ原を通ると、馬の蹄(ひづめ)の音や刀の切りあう音に交じり、多数の兵士の勇ましい叫び声が聞こえると言われています。

◆郷土資料館
開館時間:10時~17時
休館日:月・木曜(祝日の場合はその翌日)
住所:豊野町糸石3818
【電話】45-2102

問合せ:文化スポーツ課
【電話】32-1954