くらし 特集 令和2年7月豪雨災害から5年(1)

■特集「令和2年7月豪雨災害から5年」
「あの日を忘れない。共に前へ」
7月4日、令和2年7月豪雨災害から、5年の歳月が経過しました。午前8時30分に村内全域にサイレンが鳴り響き、犠牲となられた方々へ黙とうを捧げました。あの未曾有の災害により、私たちの地域は甚大な被害を受け、多くの大切なものを失いました。しかし、その悲しみの中でも、地域の皆さんが力を合わせ、支え合い、復興への道を歩んで来られたことは、何よりも大きな希望でした。
この5年間、全国各地から寄せられた温かいご支援と、復旧・復興に尽力いただいた多くの方々の努力によって、地域には、少しずつ笑顔と賑わいが戻ってきました。そして、新たに整備された宅地や住宅、インフラの整備は、未来への安心を築く、大切な礎となっています。
また、あの日を忘れることなく、風化させないよう、教訓を次の世代へと伝え、記憶を語り継ぐ活動も行われています。
今月号では、令和2年7月豪雨災害から5年間の復旧・復興の取り組みと今後の見通しについてお知らせします。

■令和2年7月豪雨災害から5年を迎えて
令和2年7月豪雨災害から5年が経ちました。あらためて犠牲になられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災されたすべての皆さまにお見舞いを申し上げます。
さて、今年は観測史上最も早い梅雨明けとなりました。梅雨の期間中、心配するような雨もなく、ひとまず安心したところですが、梅雨が短かったゆえに、今後、渇水や猛暑、あるいはゲリラ豪雨や台風などに注意が必要ではないかと考えています。そして、毎年この時期を迎えますと、誰もが5年前の豪雨災害を思い出されると思います。今回、私自身も防災意識を高めるため、令和2年7月豪雨災害を振り返り考えてみました。
令和2年7月4日へ日付が変わるころから勢いが強くなった雨は、明け方には球磨川をはじめ多くの河川で濁流となり、あっという間に、球磨橋そして川沿いの集落を呑み込んでしまいました。私は、役場災害対策本部で対応しながら、何もできず呆然とその様子を見つめるだけでした。自然の前で私たちは無力であることを、あらためて思い知らされた瞬間でした。
令和2年は、私が村長に就任した年です。梅雨入りは例年並みの6月上旬であったものの、5月に大雨に関する警報が2回、6月にも大雨・洪水警報、洪水警報がそれぞれ1回発表され、6月27日の大雨時には、避難所を開設し災害に備えました。就任直後ということもあり、日々緊張しながら対応していたことが思い出されます。
そして、約1週間後、あの令和2年7月豪雨災害が発生しました。私たちはあの災害を「これまで経験したことのない災害」と表現していますが、今回、この記事を投稿するにあたり、広報くまむらなどの資料で、当村でこれまで発生した豪雨災害について、その歴史を振り返ってみました。令和2年7月豪雨災害以前に床上浸水などの被害が発生した災害は、直近では平成24年7月12日、集中豪雨によるもの、いわゆる梅雨末期の大雨による災害でした。当時の「広報くまむら7月号」では、その災害記事の見出しを「経験したことのない大雨」とし、「これまでに経験したこのない大雨が熊本県を中心に多大な被害をもたらしました。神瀬地区では1時間雨量117ミリ、一瞬にして家屋を呑み込んだ土石流」として土石流により被災した住宅の写真が掲載されていました。その災害から8年後に令和2年7月豪雨災害が発生しています。その他にも、私たち世代以上の方には記憶にあると思いますが、昭和40年、46年、47年、57年に災害救助法が適用される豪雨災害が発生しており甚大な被害をもたらしています。そのたびに「これまでに経験したことのない大雨」という言葉が使われてきました。
近年、温暖化により災害は激甚化、頻発化しているといわれています。この激甚化する災害から住民の皆さんの生命・財産を守るためには、堤防整備や嵩上げ等のハード事業も必要ですが、併せて大切なのが、私たちが防災に対する意識を高めることで災害リスクを軽減させるソフト対策だと考えます。
これまで幾度も繰り返されてきた「これまでに経験したことのない大雨」は、なくなることはありません。私たちは、過去の災害の大きな犠牲の下で学んだ教訓を、決して忘れることなく、次の世代に語り継ぐことで、あらゆる災害での犠牲者ゼロを目指し、安全で安心して住み続けることができる村を築いていかなければならないと考えています。
球磨村長 松谷 浩一

球磨村をはじめとする球磨川流域に未曽有の被害をもたらした令和2年7月豪雨から5年が経ちました。犠牲となられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、被災されたすべての皆さまにお見舞い申し上げます。
去る6月29日にエスペランサ桜峯集会所で開催された「よけまん夏まつり」に私も参加させていただき、子どもたちとともに復興への願いを込めた紙灯篭を作り、祈りを捧げました。お集まりの皆さまの笑顔に触れ、球磨村をはじめ球磨川流域の一日も早い安全・安心の実現と生活の再建に向け、全力で取り組むことをあらためて心に刻みました。
これまで熊本県では、発災直後から、県が管理する道路や河川の他、権限代行工事として村道渡大槻線など計114カ所における災害復旧工事に取り組んできました。また、土石流などにより激甚な災害が発生した地区で再び災害が発生するのを防ぐため、砂防堰堤の整備に取り組むとともに、村内に安全な住まいを一日も早く確保したいとの村・村議会の要望を受け、渡地区における塚ノ丸団地の造成及び避難路の整備を進めてきました。塚ノ丸団地については、令和6年度末までに40区画の造成を完了しており、避難路については、令和7年度の完了を目指し、塚ノ丸団地からさくらドーム間の工事を進めております。
また、JR肥薩線八代から人吉間については、4月1日にJR九州と鉄道での復旧について最終合意書を取り交わしました。今後、JR九州と連携して一日も早い復旧を目指すとともに、地元市町村、関係団体と力を合わせ、日常の利用促進、沿線地域の振興に全力で取り組んでまいります。
一方で、住み慣れた地域での生活の先行きに不安を感じておられる方、通院や買い物など日常生活に不便を強いられておられる方もいらっしゃると思います。
熊本県としては、村と連携し、村民の皆さまお一人お一人が将来に夢を抱き、安心した生活を送ることができるよう、でき得る限りの支援を行ってまいります。
これからも、地域の声にしっかりと耳を傾け、「多くの力」を結集し「大きな力」としながら、皆さまとともに、球磨川流域の未来をつくってまいります。
熊本県知事 木村 敬