- 発行日 :
- 自治体名 : 大分県竹田市
- 広報紙名 : 広報たけた 2025年11月 NO.248
■天満湯と薬師如来
古代から温泉は、訪れる人にとって重要な湯治(療養)の場であり、地域の人にとっては、生活の一部でコミュニティの場でもあった。心身ともに癒しを与えてくれる地下からの恵みに感謝するため、源泉地には神社が建てられたり、健康の守護仏として薬師如来がまつられた。
さて、江戸時代。3代藩主中川久清(入山)は、大船山登山の休息場所として長湯温泉を度々訪れている。その影響もあって岡藩も湯治を奨励し、藩による湯屋の建設や給米支給の湯守を置くようになる。まさに藩営温泉ともいうべき施設が出現してくる。
宝永3(1706)年、5代藩主中川久通は長湯温泉の中心にあった湯の河原湯を、お茶屋(温泉付き軽食喫茶and宿泊所)として整備している。
この場所が天満神社の前であったことから、後に天満湯と呼ばれるようになるが、その境内にある薬師堂には石造りの薬師如来と地蔵尊がまつられており、背部には「宝永六年建立病除陽光院」とある。湯原組大庄屋覚書でも、そのことが記されており、さらに「陽光院様は京都の御方、天真院様の御妾にて、後は御帰京の由」とも記されている。
天真院様とは、5代藩主中川久通のこと。つまり、藩主の側女で京都生まれの陽光院がこの二尊像を建立したということである。
言い伝えによると、陽光院が胃腸病で苦しんでいたときに、枕元に薬師如来が現われ「湯原に良く効く温泉がある」と告げた。そこで陽光院は、この湯の河原湯で湯治し病気を治した。その報恩のため、薬師如来と地蔵尊を建立したといわれている。
その後、天満湯が内臓疾患に良く効く温泉として知られるようになったのは言うまでもない。
(直入公民館長 林 寿徳)
