- 発行日 :
- 自治体名 : 大分県由布市
- 広報紙名 : 市報ゆふ 2025年4月号 vol.235
今回は柏野公民館(挾間町)の敷地内にある「柏野石幢」の紹介です。
基礎・幢身・中台・龕部(がんぶ)・笠・露盤など、いずれも平面八角で、龕部は各面とも浅く船形に彫り、中にそれぞれ一軀ずつ六地蔵と閻魔(えんま)を配置しています。中台に比べ笠部は甚だ大きく、一見アンバランスのようにも見えますが、笠部自体の厚みを抑えて伸びやかに広がる作風は、むしろ優雅さを醸し出しています。軒口は垂木を表現した古い様式で整えられていますが、この垂木状の加工は内刳りの奥までは伸びず、途中で止まっています。宝珠は四方を躍動感のある火焔(かえん)で包んでいます。
幢身には、「永禄六年癸亥二月吉日建立」とあることから、1563年2月に造立されたことがわかります。
この時代、大分を支配していたのは鎌倉時代から続く大友氏の最盛期を築いた大友義鎮(よししげ、のちの宗麟)です。
大友氏は、一度は毛利氏から門司城を奪還したものの、再び兵を動かして門司城を攻撃してきた毛利氏に敗退します。
毛利氏は柳ヶ浦方面まで進出し、大友氏も局面の打開を図りますが、決定的な戦果をあげることはできませんでした。
この毛利氏との間で戦乱に明け暮れた時代に造立されたのが、「柏野石幢」です。
地元の方々から大切に守られているこの優雅な石幢には、六地蔵が配置されています。
六道(生まれ変わる可能性がある世界)で苦しむことがないように救ってくれると考えられている六地蔵が配置されていることから、戦いで犠牲となった方々の慰霊のために建立されたものかもしれません。
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