- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県指宿市
- 広報紙名 : 広報いぶすき 2025年11月号
湊地区にある馬渡写真館。初代から2代目、3代目へと引き継がれ今年で創業102年を迎えます。近代の指宿を知る上で重要となる大正から昭和にかけての指宿の写真を多く所有することから、近代編執筆者の平井一臣(ひらいかずおみ)氏(鹿児島大学名誉教授)らが取材を行い、創業者の馬渡助次郎(まわたりすけじろう)氏にまつわる思い出や写真について、孫の馬渡成太郎(まわたりせいたろう)さんと3代目の西信治(にししんじ)さんに伺いました。
Q.写真館が開業した当時の様子を教えてください。
A.大正12年(1923)に開業した馬渡写真館は、指宿で最初の写真館でした。初代の助次郎が開業場所に選んだ湊地区は当時の指宿で最も栄えていた繁華街。道路も整備され人通りの多い場所でした。今のセントラルパーク指宿には当時、専売公社(たばこ・塩などの専売を行っていた特殊法人)があり、乾燥葉たばこの納入時期には周辺に出店が並び大いににぎわっていたそうです。
初代は写真館を訪れた人をスタジオで撮影した他、結婚式などに呼ばれ、近場は日帰りで、遠方はその家に一泊し食事をごちそうになり翌日帰るという出張撮影を行っていました。当時は自動車も普及していない時代です。遠くは瀬々串あたりまで、自転車で機材を運び撮影していたそうです。
Q.風景写真が多く残されている理由を教えて下さい。
A.一瞬を永遠に残すことができる写真は当時の最先端技術でした。撮影できる人も少なく、その責務からか、仕事以外にも指宿の風景や行事を写し取る努力をしていました。初代が「写真は歴史の生き証人であり、大切な記録である」と言っていたのを思い出します。昭和11年(1936)には本業の傍ら『薩南史蹟名勝寫眞帖(さつなんしせきめいしょうしゃしんちょう)』を発行しました。開聞岳や長崎鼻、泉都指宿などの史跡名勝を広く紹介する目的で制作されました。巻末には解説も加えられ、当時の郷土史といえる貴重な写真集です。
Q.戦時下や戦後の様子を教えてください。
A.写真館には大正から昭和にかけて多くの写真が保存されていますが、戦争が激しい時期は空白の期間となっています。フィルムや印画紙などの写真の機材が入手できなかったほか、空襲を避けるため池田湖近くに疎開していたからです。のちに初代は「写真が撮れないことが、戦時下での最大の苦痛だった」と語っていました。
終戦直後に進駐軍と撮影した写真が残されています。アメリカ兵に笑顔を見せる初代は、周囲から冷たい視線を向けられたこともあったそうです。「戦争は終わった。敵味方の区別はない」という信念を貫き、国籍を超えた交流を深めました。
写真を入れる袋に、初代がいつも記していた言葉があります。「再び帰らぬ今日の姿、一枚の写真も千金の値。写しておきましょう。写真は永遠の鏡」この言葉に初代の思いが込められています。
初代の思いと貴重な写真遺産、このバトンを次の世代へ渡さなければいけないと改めて感じています。
今後指宿市史を編さんするにあたり、団体や個人への聞き取り調査を行っていきます。皆さまの心に残る思い出話をお聞かせください。ご協力よろしくお願いいたします。
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