文化 たるみず歴史・文化散歩 第60回

■瀬戸口藤吉の時代と音楽
○昭和という激動の時代に
垂水市にゆかりのある偉人の一人として、瀬戸口藤吉の名が挙げられます。垂水市では毎年6月ごろ、瀬戸口藤吉翁顕彰事業として「ふるさとコンサート」を実施しており、今年は6月21日に開催されます。
また、今年は昭和100年目、そして太平洋戦争の終戦から80年目という節目の年にあたります。当時の垂水市域には、旧垂水海軍航空隊や旧九州海軍航空隊桜島基地などが設置されており、また空襲被害の記録が残るなど、忘れてはならない歴史の舞台となっています。
昭和12年、当時の日本は、『国民精神総動員』という体制をとっており、『ぜいたくは敵だ!』のようなスローガンや、二宮金次郎像の学校設置などのように、国民の精神を国家が統制しようとするための施策が行われていました。
こうした背景のもとで、「国民が永遠に愛唱すべき国民歌」を作るため、「美しき明るく勇ましき行進曲風のもの」などの条件のもとで歌詞と曲の公募が行われました。多額の賞金がかけられ、国家の一大プロジェクトであったといえるこの公募で1位に輝いたのが、瀬戸口藤吉作曲の「愛国行進曲」でした。

○先人が残した音楽文化
『愛国行進曲』は、その名のとおりいわゆる軍歌的な内容の歌詞を持った歌でしたが、曲調などの部分は後世でも高く評価されています。
国家戦略的な色合いが強い歌詞の部分と、芸術的価値が評価される曲の部分とが分けて捉えられたことは、当時の社会と、その社会の中で音楽を発展させたい、そして自らが社会の中で身を立てたい音楽家たちとの関係性をも示唆しているのかもしれません。すなわち、音楽家たちは国家が発注する軍歌的な曲をつくり、また音楽による国民精神の統制が可能だという考えに同調することで、日本の中に音楽という文化を根付かせるという選択をしたということではないでしょうか。日本の音楽、特に吹奏楽の発展において、戦争というキーワードは特に結びつきが強く、瀬戸口藤吉という人物もまた、そのような背景の中に生きた人だったのではないでしょうか。

▽参考資料
『日本の吹奏楽史』青弓社/戸ノ下達也(2013)