くらし 令和6年度金武町青年海外派遣事業研修報告(1)

当事業は金武町の青年を海外へ派遣し、各国の異文化体験を通じて国際的な視野を広げ、地域において意欲的に活動する青年の育成、移住地との交流の懸け橋となれる人材の育成を図ることを目的としています。

■移民した方々と交流し絆を深め、移民の歴史を学びたい!!
令和7年1月9日~2月12日に実施された青年海外派遣事業で海外5ヵ国(ブラジル・アルゼンチン・ボリビア・ペルー・米国ロサンゼルス)を訪問した研修生、花城 梓(はなしろ あずさ)さん・伊藝 雄飛(いげい ゆうひ)さんの研修報告をシリーズでお届けします。今月はブラジル・アルゼンチン・ボリビアでの研修について報告します。

▽金武町青年海外派遣事業報告会を実施します!
研修生が実際に見て経験してきた北南米の各国金武町人会の様子や研修で学んだことを聞いてみませんか?報告会はどなたでも参加可能です。今年度も研修生の派遣を予定していますので、興味のある方はぜひお越しください!
日時:令和7年4月16日(水)午後6時~
場所:金武町役場3階 大ホール

問合せ:企画課
【電話】098-968-6262

◆ブラジル 1月10日~18日
ブラジル社会には活躍するウチナンチュ移民の姿がありました。現在では定番となっている「パステル」は、ブラジルに渡ったウチナンチュが現地人の好みに合うよう工夫し、春巻き風の生地で肉、魚、チーズ、タケノコなどの具材を包み揚げたもの。市場で好評を呼び、投資資金を貯め、新事業へ進出し、生活基準を高めていくという好循環を生みだしたそうです。こうしたチャレンジ精神は、多民族から成る競争社会で生き抜いていく上で培った力だと思いました。そして、金武町移民の自営業者を訪問した際は、現事業「砂・砂利の卸業」に落ち着くまで転職を図り、黒字になるまで諦めなかった方、毎日早朝4時から24時まで青果市場の卸業をする方、未開拓地に材木・建築資材店を始め、需要を独占していた方など、逆境に負けない不屈の精神や成功を信じる勇気を見せられ刺激になりました。
~花城 梓~

ブラジルには1月10日から18日までの10日間滞在し、金武町人会の方々や沖縄にルーツを持つ若者、日本にルーツを持つ人々と出会い、移民についての現地の声を聞くことができました。特に印象的だったのは「ニーセーターツアー」への参加です。南米各国から沖縄にルーツを持つ若者が集まり、文化交流を行うイベントで、私は1日だけ参加しました。驚いたのは、多くの人が沖縄の文化を日常の中で大切にしていたことです。例えば、ブラジルにはエイサー団体が3つあり、多くの若者が所属していました。また、日本語を話す人も多く、沖縄の音楽を自然に聴いている様子が印象的でした。滞在を通して、沖縄の文化が海外でも受け継がれていることを実感し、今後も文化交流に関わっていきたいと強く思いました。
~伊藝 雄飛~

◆アルゼンチン 1月19日~23日
アルゼンチンは沖縄を誇りに想う元研修生の方々で賑わっていました。親の生まれ故郷である金武町を訪れた際、ここで生まれ育ったのかと感動した思い出を語り、研修時に受けた厚遇を私たちに恩送りしたいと話し、それはまさに私が行く先々で湧いてきた感情でもありました。元研修生のエピソードにあやかり、一家から従妹含む5人が金武町へ研修に来たと聞いたときは、祖先のルーツに対する好奇心が家族全体に浸透した事が伝わってきました。うるま園では、沖縄移民百周年の石碑の周囲に刻まれたご先祖様の氏名へ案内して頂き、元研修生の父は、自身の母親が49日間かけて船でアルゼンチンまで渡った体験を語り継いでくれました。命懸けで出稼ぎに行くしかなかった苦境を認識し、その延長線上に今の交流があることに感謝しながら、移民国と繋がり続ける事で報われてほしいと思いました。
~花城 梓~

アルゼンチンには1月19日から23日までの5日間滞在し、新里さんのご家族にお世話になりました。新里さんのご兄弟の多くが金武町に研修生として滞在した経験があり、アルゼンチンで金武町の話をするのが楽しい経験でした。また、かつて研修生として沖縄に滞在した人たちは、その時に学んだ日本語を使い続けており、沖縄での経験を大切にしていることが印象的でした。アルゼンチンの人々は繋がりを大切にする文化を持ち、家族のように温かく迎えてくれました。また、イタリア系移民が多いため街並みや食文化がヨーロッパのようで、食事を囲む時間も貴重な思い出です。今回はアルゼンチン金武町人会の新年会に参加できませんでしたが、いつか恩返しをしに再訪したいと思います。
~伊藝 雄飛~

◆ボリビア 1月24日~2月1日
ボリビアには1月24日から2月1日まで滞在し、前半は沖縄移民が暮らす「コロニアオキナワ」、後半は首都サンタクルスでホームステイをしました。歓迎会では、コロニアオキナワの人々が金武町の方々と同じような話し方や雰囲気を持っていることに驚き、懐かしさを感じました。彼らはスペイン語、日本語、うちなーぐちを混ぜて話し、特に言語を大切にしていることが印象的でした。若い世代も日本語学校に通い、年配の方々は方言を使い続けており、沖縄よりも沖縄らしさを強く感じる場面が多かったです。この経験を通じて、私も沖縄の方言を自分のアイデンティティとして学びたいと思いました。今後、沖縄とボリビアのつながりを深める活動をしていきたいです。
~伊藝 雄飛~

ボリビアにはウチナンチュ移民が一から築き上げた村「コロニアオキナワ」がありました。地元よりも方言が話されており、滞在先で提供される食事は冬瓜汁やソーキ汁などの郷土料理だったため、親の実家のような懐かしい感覚になりました。コロニアオキナワのどこを訪れても沖縄の存在は大きく、めんそーれオキナワと書かれた看板や比嘉食堂、小麦粉やパスタを製造している工場の商品パッケージにはFIDEOS OKINAWAの文字があり、沖縄というブランドが確立していました。そして、ボリビアオキナワ歴史資料館では、実際に使用されていた工具が展示されており、一世の方々が密林を開拓し、生活基盤を築き、沖縄のような居場所を作るまでの苦難を語っていました。残骸を見て当時の人たちの追い詰められた状況を想像すると、次世代の人たちも、当事者意識をもって移民の歴史について学び、未来に残す責任があると感じました。
~花城 梓~