くらし この人に会いたい

■芸術家人生スタートの地 恵庭市に作品38点を寄贈
彫刻家 鈴木吾郎さん(小樽市在住)
今年3月、小樽市在住の彫刻家・鈴木吾郎さんから、作品38点が寄贈されました。
3月には作品寄贈セレモニーと記念講演会が行われ、5月末からは夢創館で展示会も開催されています。
今月号の「この人に会いたい」では、鈴木さんに、恵庭市との縁や思い出、記念展に込めた思いをインタビューしました。

■エンジニアを諦め出会った芸術家への道
現在85歳の鈴木さん。自分が存命のうちに、作品の行き先を考えようと思ったとき、真っ先に候補として考えたのが、芸術家人生スタートの地・恵庭市だった。
実は、最初から芸術家を志していたわけではない。「幼少期からエンジニアを目指していたのですが、受験に失敗して」と笑う。高校の選択授業で美術を受けていたことから、美術の先生に頼んで2週間特訓してもらい、北海道学芸大学札幌分校に滑り込んだ。「何としても進学をと考えていたから、必死でした。特訓中は、ぐんぐんデッサンが上手になり、水彩・平面構成・立体構成すべてがおもしろく、本当に楽しかった」。濃密な時間の中で、芸術の楽しさに目覚めた。
入学後、大学1・2年ではさまざまなジャンルを学び、金属工芸の授業で作った作品は道展で入選もした。しかし、3年の専攻を決めるときに選んだのは彫刻だった。「金属の鋭さや冷たさが、どうしても肌に合わなかった。粘土には温かみを感じて。先生の所に何度も通って、なんとか入れてもらった」。芸術家としての基本を学ぶ一方、生活の糧として教員になると決め、中学・高校の教員免許を取得した。

■恵庭との縁のはじまり
卒業後、最初の赴任地が恵北中学校(当時・恵庭町)だった。ここから、生徒を指導しながら自身の作品と向き合う芸術家人生がスタートした。「とにかく校舎がボロボロで、美術室も準備室もなかった。当時は15クラスあって、週に30時間も授業があったんです」と懐かしそうに語る。美術部の顧問のかたわら、サッカー部やソフトボール部の顧問を掛け持ちし、道展が近づくと自身の創作活動も行う。忙しくも充実した恵北中での教員生活は、11年間続いた。
「恵北中での日々は、僕の人格形成の基盤となっている。思い出すのは、とにかく生徒の自主性が強かったこと。多くのことを生徒会を中心に自分たちで決めて、生徒たちがそれを守る、という姿勢がすばらしかった」と振り返る。当時の教え子たちとの交流は途切れることなく続いている。3月に行われた記念講演会に、還暦を過ぎた多くの教え子が駆けつけたり、5月の記念展に協力してくれたりと、心強い存在だ。

■作品を通して伝えたいこと
今回の記念展では、「芸術・美術に縁がない人にも気軽に足を運んでもらい、知識ではなく〝心で感じ取る〟という体験をしてほしい」と願う。「今の時代は、あまりにもせっかちで、内なる自然が荒廃していると感じている。芸術の役割は、内なる自然を豊かにすること。多くの人に鑑賞してもらって、いろいろなことを感じてほしい。どんな気持ちでもいいし、ひとりひとり違っていいのです」と鈴木さん。自身の今後については「ずっと作品を作り続けて、一つでもいい作品を作りたいね」と宣言した。

■鈴木吾郎 作品寄贈記念展「恵庭の記憶」 開催中
日時:5月30日(金)~6月15日(日)各日10時~17時(受付16時30分まで)
会場:夢創館

◇6月のイベント
・作家本人によるギャラリートーク 6月7日(土)13時30分~
・ギャラリーコンサート(伊藤光湖 ヴァイオリン独奏)6月8日(日)15時~
※定員各30人。定員に達した際は、入場制限などを行う場合あり

■すずき・ごろう
1939年12月22日生まれ。月形町出身。1962年に北海道学芸大学札幌分校を卒業し、恵庭町立恵北中学校に着任した。以降55歳で教員を退職するまで、道内の高校で教壇に立ちながら作品を創作した。現在は小樽市在住。小樽のアトリエを拠点に創作活動を続ける。