文化 市史編さんコラム「市史の余白」

今回は、井原西鶴と善光寺についてご紹介します。

◆第6回 『井原西鶴、善光寺を紹介する』
東洋大学 人間科学総合研究所 濱口 裕介

浮世草子で知られる井原西鶴の晩年の著書に『一目玉鉾(ひとめたまぼこ)』があります。元禄2(1689)年刊行の絵入り地誌であり、上段には各地の名所・名物などについて書いた本文が、下段にはそれと対応する絵図が配されています。
第1巻を開くと、すぐ夷千島(えぞがちしま)、つまり蝦夷地周辺のページです。この図では、夷千島という島のほか、雁の故郷だという常盤(ときわ)島や、氷の橋で結ばれた猟虎(らっこ)島などが描かれています。とはいえ、これらが具体的に現在のどこに当たるのかよく分からず、正確さは期待できそうにありませんね。そもそも、この図の形状を見て北海道と気づく方は果たしてどれほどいるでしょう?
もっとも、なかにはある程度正確な情報も交じっています。たとえば、本文では夷千島の大将として「遮牟紗院(しゃむしゃいん)」という名を挙げていますが、もちろんこれは寛文9(1669)年のアイヌ蜂起の指導者シャクシャインです。その妻は「女軟腰(めなこし)」とありますが、これは女性を表すアイヌ語でしょう。
さらに、図の左上には離小(はなれこ)島という島があります。本文では、この島の「海辺に臼善光寺という堂がある、本尊は信州と同体である、突臼を台座にしているそうだ」と紹介されているのです。いうまでもなく「臼善光寺」は、有珠善光寺のこと。その存在は、大坂に暮らす西鶴の耳にまで届いていたのです。
当時蝦夷地に和人が訪れる機会は少なく、伝説に彩られた異界として語られがちでした。しかし、17世紀末ごろから日本の一部として蝦夷地を紹介する出版メディアも現れ始めます。そこでこの地を代表する名所として言及されることになるのが、善光寺だったのです。

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