くらし 法テラス江差通信(第177号)

■共感(2)
令和7年3月号の記事では、漫才コンビのネタの一部を取り上げて、UFJとUSJの言い間違いに関するやり取りを示しました。具体的には、AがUSJとUFJを言い間違えたのにもかかわらず、言い間違えていないと反論するものであり、Aが「(さっき言い間違えたでしょうという目で見ているBに対し)俺が言い間違えたなら、何でこんな堂々としてられるわけ?」(発言(1))とか「(自分は、言い間違えをしていないことを理解してもらうために)漫才を見てくれているお客さんに、俺が言い間違えたか聞いてみよう。」(発言(2))とか「その結果、言い間違えたと認められた方が100万円払おう。」(発言(3))とか「親の顔をネットにさらそう。」(発言(4))などと言うものです。この言葉に面白さを感じる理由を尋ねたところで、前回の記事は終わりました。
今回は、この理由を示すところから始めます。その理由は、「経験則の使い方」です。発言(1)では、「言い間違えたら、堂々とした態度をとることはできない。」(経験則)のにもかかわらず、Aは、堂々とした態度を見せています。発言(2)では、「言い間違えをした人は、自ら負け試合を選択するはずはない。」(経験則)のにもかかわらず、Aは、負け試合を選択しました。発言(3)(4)では、「負ける人は、リスクのある賭けに出ない。」(経験則)のにもかかわらず、Aはリスクに直面する賭けに出ました。このように、Aは「自分は言い間違いをしていない。」ことを認めてもらうために必死になって、「言い間違いをしたのであれば、およそ選択しないような態度を示す」ことにしたのです。これによって、Aがあたかもまともな反論をしているかのような雰囲気を作り出していたので、この漫才を見ている人の視線は、すべてAに集まったはずです。事実の見せ方(経験則を踏まえた事実に対する評価)によって、負け確定の人にも視線が集まるんですよね。(続く)

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(法テラス江差 弁護士 川口 智博

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