- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道泊村
- 広報紙名 : 広報とまり 令和7年5月号
■旧武井商店酒造部
鰊御殿とまり館長 増川 佳子
モノトーンの街に少しずつ色味が増えていく春の楽しみを経て、桜色の季節の真ただ中に入りました。「泊村は花見の場所があまりないんだよね。」と話された方がおりましたが、役場の周りや神社の入口等、至る所に目を奪う桜の木があります。また、陽ざしが強くなると波間の光も一段と輝きます。写真では味わえないキラキラ輝く海原とその海と空の色に映える桜を鰊御殿を訪れる方々に見ていただきたくて、「今日も晴れますように」と祈る毎日です。
さて、道内の小中学校では5月に修学旅行が実施されることが多く、私も何度か引率をしました。ある小学校で“北海道開拓の村”が見学コースに入り、自由見学をしていた時に、“旧武井商店酒造部”の存在を知りました。それまで泊村でお酒を造っていたことを知らなかった私は、信じられない気持ち半分で見学した記憶があります。広い土間に大きな酒樽と様々な酒造りの道具が並び、居間には家族の夕餉の食卓が用意されていました。その立派さに「私の故郷にあったんだよ。」と思わず自慢したくなったことを覚えています。
◆旧武井商店酒造部
[人口の増加と酒造り]
酒造りには、いい米といい水を必要とする。当時、北海道では米が収穫されなかったため、酒については道内生産しないで本州製品を販売していた。しかし、炭鉱の発展と定住者の増加で酒の販売量が増えてくると、道内で酒造りをしようとする試みが始まった。本州から材料を購入して道内生産するほうが価格を安くできるからである。
初代武井松兵衛は、それまで酒造業兼呉服販売業であった店を、1912(大正2)~3年頃に酒造業専門にして成功した。第二次世界大戦の戦時体制で酒造中止命令が出された1944(昭和19)年まで続けられた。代表的な銘柄は「松の露」、「玉の川」であった。
[炭鉱町の洋風建築]
主屋は、下見板張りの外壁、寄棟(よせむね)の柾葺屋根、上げ下げ窓、そして2階の軒天井(のきてんじょう)に洋風建築が取り入れられている。
『中学生のための開拓の村学習のしおり』(平成9年 北海道開拓の村 発行)より
泊村の子どもたちは“北海道開拓の村”へ行く機会はあるのでしょうか。故郷にかつて存在した、大きな博物館で保存・展示されるような歴史的建造物を直に見学し、その建物が建てられた当時の泊村を知っておくことは大切なことかもしれません。