文化 鰊御殿とまり ごてん 令和7年9月号

■浮き玉の変遷
鰊御殿とまり館長 増川 佳子

7月の終わり頃、「何をしてるんでしょうねえ。」と港を眺めていたお客様に問われました。一緒に見てみると、港の端にある建物の前で4人ほど集まって作業をしています。ホタテの身を貝殻から外しているには手の動きが小さいし、ウニ剥きでもないようです。近くに寄って覗いてみると、四角い容器の中にホタテの稚貝がきれいに並んでいました。「3・4月に産卵した泊産まれのホタテの子どもだよ。ひと籠にどれだけ入っているか数えていた。今年は多くて安心した。」と教えてくれました。私の爪よりも小さいのに一丁前にホタテの形をしている稚貝は、2年後には立派なカブトホタテになるそうです。
このように、見学を終えたお客様が帰り際に感想を述べてくださったり、質問されたりすることが結構あります。最近、「ガラス玉、素敵ですね。」「このガラスの玉、何に使っていたのですか。」とガラス玉が話題になりました。陽の光に当たり海色に輝くガラス玉は目を引くようです。
昔、漁網を浮かせるために使われていたガラス製の浮きは“ビン玉”と呼ばれ、漁師がロープで保護網を編んで使用していました。明治30年頃、小樽の浅原硝子製造所の初代・浅原久吉に、水産試験場から「木製の漁業用浮きを安く、軽く、加工しやすく、海の水の色に溶け込むような透明感のあるガラスで製造できないか」という依頼があったのが“ビン玉”製造の始まりだったようです。その後、北洋漁業が縮小し鰊漁が衰退すると“ビン玉”の需要はがっくりと落ち、プラスチック製の浮き玉に変わっていきます。現在、“ビン玉”を生産しているのは浅原硝子製造所のみで、それもほぼ装飾用に限られるという状況だそうです。
この“ビン玉”が製造される前、日本における漁業用の“浮き”は木製で、明治・大正時代の鰊漁の際などに活用されていました。『鰊御殿とまり』の石蔵の扉の前に置いてある漁具説明資料にこの木製の浮きについて掲載されたものがあります。

漁具や漁網を海の中で浮かせるために使用された浮き物をアバとよんでいました。軽く、しかも長い間海につかっていても腐らない桐材が多く使用されていました。大量に桐材を使うため、工夫と努力を重ね、桐の栽培に力を入れた親方もいました。
網のどこに使うかによって、アバの形や大きさが異なっており、それぞれ使いやすく工夫されていました。形によって、“板(平)アバ”“舟型アバ”“管アバ”などがあり、使う場所によっては、“口前アバ”“浮尻アバ”とよばれるものもありました。また、刺し網一放ごとの境界を示すための木製の標識としてだんぶが使われていました。…当時、桐材は貴重品だったようです

※詳細は本誌p.10をご覧ください。