- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道泊村
- 広報紙名 : 広報とまり 令和7年11月号
■鰊御殿とガラス窓
鰊御殿とまり館長 増川 佳子
9月末の朝、白い綿をつけた気の早い雪虫1匹を見ました。もうすぐ寒くなるのかなと思いきや長期予報通り10月初旬まで暖かい日が続きました。でも、確実に日の入りは早くなり、天気が良い日でも16時を過ぎるとあっという間に館内が暗くなります。『鰊御殿とまり』の今年度の営業もあと2週間となりました。今年も村内外の皆様にたくさん起こしいただきました。ありがとうございました。
さて、2年前に鈴木病院(昭和12年頃より旧川村家番屋建物内で開院)長の息子さんが数人の方と一緒に見学にいらっしゃいました。その方は子どもの頃を思い出し「光の入らない暗い家だったよ。」と話されました。右の写真でもわかるように、1階の窓は細かい格子窓に覆われていますし、漁夫だまり2階のガラス窓もありません。今でも番屋1階は常時照明をつけていますが、北西の向きにある茶の間や漁夫だまりや台所は夏でも薄暗いのですから、電球やランプなどの照明の性能も劣っていた当時はさぞ暗かっただろうと予想できます。
日本で窓ガラスが普及したのは、明治頃だそうです。とはいえ、明治頃の庶民の住宅ではまだ障子窓、板戸、格子窓が一般的だったようです。大正時代に入っても、ガラスはまだまだ高価なもので財力のある家でないと購入することができませんでした。
一般の家庭でもガラス窓が入るようになるのは、昭和の初めごろからと言われています。当時は、イギリスで確立された『手吹円筒法』と呼ばれるガラスの製造方法が主流でした。円筒形に空気を吹き込んでから円筒を縦に切って開くと、ほぼ同じ大きさの板ガラスができあがります。1枚1枚が手作りですので、不規則な歪みが波打って窓の向こうの景色が揺らぎ、同じ形は二つとありませんでした。
この風情ある吹きガラスが『鰊御殿とまり』の武井邸客殿の廊下の窓に使われています。受付を終えて客殿に目を向けて、わずかな光の加減でガラス窓が波打っているのに気づかれる方もいます。客殿の廊下からガラス窓超しに見る港や庭は、ゆらりと歪んでとても味わい深く、またレトロな雰囲気もあり、お客様の目を楽しませています。
