くらし 協力隊通信

■獣魂碑慰霊祭と各地の石碑
天塩町地域おこし協力隊、天塩川歴史資料館・学芸員の鷹尾です。今回は、天塩町も含め、日本のあちこちに点在する獣魂碑(1)や(牛)馬頭観音碑など、動物の魂を供養するための儀礼とその信仰対象となる石碑についてのお話をご紹介します。
耕種農業や畜産業などの第一次産業に携わる方々にはなじみ深い話かと思いますが、牛や馬は開拓時代から長い間、人々の生活には無くてはならない大切な存在でした。彼らの魂の弔いのため、建立されたのが各地の石碑です。
現在でも天塩町では乳牛の魂を供養するための慰霊祭が行われており、今回、8月6日に催された南川口の獣魂碑慰霊祭を見学・参拝する機会を頂きました。この獣魂碑は天塩町開基110年の年である平成2(1990)年に、乳牛1万5千頭、牛乳5万トン達成記念として建立されたものです。慰霊祭では住職の方が獣魂碑にお経を上げ、参拝者が順に奉拝しました。文字の史料だけでは実感できない、動物とともに紡がれた歴史の一端が感じられる貴重な体験となりました。
天塩川歴史資料館では、天塩町や周辺地域の獣魂碑や牛馬頭観音の位置を地図で説明する資料や、牛馬頭観音碑を再現した展示をご覧いただけます。ご興味のある方は、ぜひご来館ください。開拓時代から今日へ連綿と続く祈りの歴史を垣間見ることができます。(鷹尾)
(1)牛魂碑や畜魂碑と表されることもあるそうです。

■昭和15年の積丹半島沖地震 天塩町の津波被害について
天塩町地域おこし協力隊、天塩川歴史資料館・学芸員の前川です。
昭和15(1940)年8月2日に発生した「積丹半島沖地震」により、天塩町の沿岸は2メートルの津波に襲われ、子どもを含む10名が犠牲となりました。この出来事に関する取り組みが、先日、北海道新聞に掲載されました。

▽貴重な写真の寄贈
豊富町にお住まいの方が、2年ほど前に、ご尊父の遺品である天塩町での津波直後の様子を撮影した写真を資料館に寄贈してくださいました。ご尊父は当時、消防士で、写真撮影が趣味だったため、当時の様子を記録した写真が遺されていました。
これまで「新聞記事や記録はあるが、写真は残っていない」という声が寄せられていました。そのため、この写真は、天塩町での昭和15年の津波被害の状況を知るうえで非常に貴重な資料です。

▽私自身の経験から
私は岩手県釜石市の出身で、東日本大震災を経験しています。小学4年生だった当時、地震が下校直前に発生し、高台へ避難したことで津波から命を守ることができました。多くの犠牲者を出した大災害にもかかわらず、私を含め、自律的に率先し、各自が迅速かつ的確に避難したことで釜石市では小中学生ほぼ全員が無事でした。後に「釜石の奇跡」と呼ばれたこのことは、地域において過去の歴史に学び、日頃からの防災教育に生かすことの重要性を世間に広く認知されました。
最近では、カムチャツカ半島地震もありました。こうした活動を通じて、少しでも多くの方に防災への関心を持っていただければと思っています。

▽情報提供のお願い
今回、この寄贈された津波被害の写真ついて北海道新聞に情報提供し、記事掲載されたことを機に、今後も昭和15年の津波に関する情報収集を続けてまいります。町民の皆様からの情報提供も、ぜひお寄せいただければ幸いです。(前川)