文化 市内の文化財散策

(235) 斐ノ城跡(あやのじょうあと)
斐ノ城跡(斐野館(あやのだて)跡)は、若柳地区有賀にある中世の城館跡です。標高40メートルほどの丘陵に所在する南北200メートル、東西300メートルほどの規模の館跡で、ここを中心とした半径1.2キロメートルほどの範囲には、鳥見館跡、鶴ヶ城、軽石館跡、田子屋館跡、武鎗館跡の、6つの館跡が分布します。
仙台藩が編さんした江戸時代の地誌「封内(ほうない)風土記」では、康平6年(1063年)に八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)がここで年を越したと記されていて、鎌倉時代の建暦年中(1211~1213年)には、八幡神社別当の清原氏が居住し、室町時代の明応年中(1492~1501年)以降は、大崎氏の家臣である菅原氏、高玉氏、田野崎氏が居住したとされています。
また、天正元年(1573年)に大崎氏が葛西氏に敗れてからは、葛西氏の家臣である渋谷氏が居住していましたが、天正18年(1590年)に葛西氏が滅亡した以降、廃城されたと考えられます。
最後の城主である渋谷氏は、永正18年(1521年)に八幡宮を修造、天正6年(1578年)には宗武山浄蓮寺を創立し、同寺が災害により焼失した後には、官庭寺を建立しました。
長い時を経て、当時の城の面影を見ることはできなくなりましたが、戦国時代の城主が遺した寺院は、絶えることなく地域の歴史を刻んでいます。

種別:市指定記念物 史跡
指定日:昭和39年3月1日
所在地:若柳有賀字八幡

問合せ:教育部文化財保護課
【電話】42-3515