文化 歴史民俗 ふるさと探訪(61)

■弁財天のお使い 福徳財宝の神 水神でもあり 養蚕の守り神
巳(蛇)に関するあれこれ

今年は巳年ですので、町内の「巳=蛇」に関する社寺や習俗などを紹介します。
小斎の鹿島神社拝殿の脇に、大蛇の骨を埋めたという「蛇の宮」または「蛇塚」とよばれる所があり、次のような言い伝えがあります。
「天正年間(1573~92年)、鹿島神社境内に、周囲約6メートル余り、根元に大人6人が隠れるほどの空洞がある桜の古木があった。ある年の夏、この木に落雷があり、4・5日間燃え続け、異様な臭いが隣村まで広がった。驚いた人々は御託宣を仰いだ。神がいうには、桜の木に棲む毒蛇が村に害を与えようとしていたので、鹿島の神が退治したのだという。焼け跡に行ってみると、大蛇の頭、牙、骨などが残っていた。人々は、頭と骨を丁重に葬り、鹿島神への恩を忘れないようにと、牙は宝物として保管することにした」。後年、この牙は熱病によく効くことが分かり、村では薬として用いるようになりました。
ほかにも、大張には、大蔵寺から堂山の虚空蔵様への参拝路上に蛇神様、八龍様とよばれる「蚕神」があります。また、丸森の下滝にも蚕の守り神といわれる「下滝様」があります。両社ともお使いが蛇であるところから、蚕の天敵である鼠避けのために信仰を集めていました。養蚕を始める時に参拝して御幣を借り、終了すると御幣を倍にして返し、御礼として卵を備えたともいわれています。
巳(蛇)に関する言い伝えでは、「蛇が歳をとると大蛇に、更に歳をとると龍になる。巳年生まれは金運がよい。蛇の皮の財布はお金が溜まる。蛇、龍は水神様の使いであるから、雨乞いの時に祈る」などといわれています。
町内各地に見られる「巳待供養」、「弁財天」、「金華山」などの古碑も、福徳を授かるため数人で講をつくり、巳の日などに集会を開いて資金を出し合い、建立したといわれています。巳の日は、蛇が神使とされる弁財天の縁日ですので、近くの弁天様や関連する古碑などへの参拝が行われたようです。講中では「3年続けてお参りすれ財が溜まる」と、牡鹿の金華山詣でが盛んに行われました。
また、町内には「蛇供養」や「蛇神様」などとよばれる、蛇の図像などが刻まれている信仰碑が27基確認されています。