- 発行日 :
- 自治体名 : 宮城県丸森町
- 広報紙名 : 広報まるもり 令和7年10月号
■集落に流れ着いた閻浮檀金(えんぶだごん)の観音様
篠崎流観音(しのざきながれかんのん)(小斎)
小斎地区の弓目木にある小山に「流れ観音」と呼ばれる観音様がひっそりと祀られています。御本尊は聖(正)観音様。伊具三十三観音の第二十番所で、御詠歌は「父となり母となりてや世の中を、救う小斎の流れ観音」と詠われています。
言い伝えによると、「昔、阿武隈川の流れは大きく蛇行し、篠崎の辺りを流れていた。ある年、大洪水があり、この地に小箱が流れ着いた。小箱を開けてみると、三寸三分(約10cm)の閻浮檀金(良質の金のこと)の観音様であった。集落の人々は守り仏を授かったと大喜びし、集落の一番高いところに祀り、誰言うとなく流れ観音と呼ぶようになった」
この観音様は、福島県伊達地方から流れついたものとも、大張地区の川張にあった二又石から飛び出た「流れ岩の観音様」であるともいわれています。
流れ着いた観音様は、江戸時代後期の天保年間(1830~1843年)、山火事に遭い、堂宇(お堂)を再建した際に新たに御本尊を迎えて祀り直したものといわれています。また、観音像の消失に関しては、火事以外にも次のような言い伝えがあります。
上方(京都・大阪地方)から「小斎の流れ観音の噂を聞いて来た」という、観音信仰に熱心な老夫婦の商人がいた。仮住まいをしながら流れ観音を深く信仰していたが、7年も経った頃、この老夫婦が突然姿を消し、不審に思った集落の人々がお堂に行ってみると、観音様は無くなっていた。集落では「あの老夫婦が持ち去ったのでは」という噂がたったといわれています。
観音様は、観世音、観自在仏、光世音などと呼ばれ、人々のどんな悩みや苦しみも救ってくれる慈悲深い菩薩様といわれています。人々の願い事すべてに応じるため、三十三のお姿で現れるところから、「三十三観音信仰」が生まれたといわれています。
古くから親しまれてきた観音様は、霊験あらたかな菩薩様として伝説や昔話、歌舞伎や浪曲などの大衆芸能にも登場してきました。
