文化 あだち野のむかし物語 ずーっと、ずーっと、昔ナイ。No.07-(2)

■稚児(ちご)舞台(ぶたい)悲話(2)
舞台の岩は、安倍氏の家紋を染め抜いた幕と紅白の幕に飾られて、一層華やかなものでした。主命によってしすしずと舞台に姿を見せた二人の稚児は、春風のはこぶ双調・平(たいら)調などの妙なる雅楽の調べにのせて、花に遊ぶ蝶のように優雅に舞ったのです。この一時は、川の瀬も木々に群れ飛ぶ鳥の声も鳴りをひそめ、敵の兵も味方の兵も、天女のように舞い踊る二人にうっとりと見惚れていたのです。

二人が静かに舞いを納めたとき、阿武隈川を挟んだ兵たちは東も西もなく、称賛の声をあげ、岩をたたき弦を鳴らし嵐のような拍手が両岸の岩山にひびきわたったのです。

この拍手のなか稚児姿の娘二人は「敵の前に生恥(いきはじ)をさらした。」と、相抱いたまま断崖から数丈(じょう)下に渦巻く淵(ふち)に身を投げ、波の中に消えていったのです。この話を伝え聞いた老姥(うば)は、悲しみのあまり娘たちが消えた淵に身を投げ、後を追ったといいます。

八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)はこの有様を見て「敵ながら不憫(ふびん)なものよ。」と、娘二人の塚を築いて懇(ねんご)ろに葬り、老姥の亡骸(なきがら)を川岸に葬り、手厚い供養をしたそうです。その後、二人の塚は二子塚の字名に残り、老姥は老姥神様として祀(まつ)られ、里の人々は子供の成長を願っています。