文化 【歴民コラム】三春歳時記 弥生(やよい)

3月の別名である弥生は、「弥」はいよいよ、ますます、「生」は生い茂るという意味で、「いやおい」とも読んで、冬が終わって植物が再び成長する季節を表しているといいます。このほかに、3月3日の桃の節句に由来する雛月(ひいなづき)や桃月や、唱歌「さくらさくら」に「弥生の空は」とあるように、旧暦3月は桜の開花期で、桜月、花見月、花津月などとも呼ばれます。
二十四節気では、3月5日は土の中で冬ごもりしていた虫が、穴を啓(あ)けて地上に出てくる頃なので啓蟄とされ、20日が昼と夜の時間がほぼ同じとされる春分になります。春分は、仏教行事である彼岸の中日にあてられ、秋分と同じく国民の祝日です。東北地方ではまだ花がない時季なので、墓地に彼岸花と呼ぶ造花を供えることが多く、会津の紙を折り重ねたものや、仙台の木を細かな螺旋状に削り出すタイプよりも、三春では角材を鉋で薄く削って色付けしたものを竹に挿した削り花が主体で、墓地が春めきます。
3月3日は上巳(じょうし)の節句です。元来は3月上旬の巳(み)の日が上巳で、古代中国ではこの日に川で身を清めましたが、魏の時代に3日に固定されたといいます。それが日本に伝わると、平安時代の宮中で「曲水の宴」による祓(はら)いが行われ、そこで人形(ひとがた)を流したものが流し雛となり、さらに雛まつりに発展したようです。三春の上級藩士の家では、前日に五目寿司や川魚、浅葱などの重詰めをたくさん作り、餅をついて草餅を拵えました。ほかに、雛饅頭や駄菓子、豆炒り、あられなどのお菓子をたくさん購入し、白酒や甘酒も準備しました。そして、当日は屋敷の大門や玄関を開いて、来客のために火鉢や煙草盆を準備し、桃の枝を餅の上や花生けに飾り、お雛様にはしじみ、浅葱、菱餅、白酒と酒・甘酒、雛饅頭を供えました。そして、昼は塩引の焼物にしじみ汁、香物、平と飯のお膳で祝いました。
また、17日は馬頭観音の祭礼で、荒町の通りは馬を連れて参拝する馬生産農家の行列が、一日中続いたといいます。