文化 れきみんコラム

三春町は今年で町村合併70周年を迎えます。これにちなみ、れきみんコラムでは、明治維新後の行政の変化等を見ていきます。昭和の合併の大前提となる各村は、明治19年、さらに明治22年と、2度の合併を経て成立しているからです(2026年で、各村成立からは140年になるわけです)。今回は中妻地区の資料を紹介します。
明治19年の合併をもって成立した、鷹巣村・斎藤村・西方村・沼沢村・蒲倉村・荒井村は、明治22年4月1日の合併により、中妻村となりました。しかし、22年以前の役場文書には、『鷹巣村外十八ヶ村連合会決議録綴』というものが残されており、明治17年から22年までは、このような連合会で村の運営をしていたことがわかります。
この文書は、例年の歳出・歳入予算の議決に関するもので、中を確認すると、鷹巣村を筆頭に、斎藤村・西方村・沼沢村・蒲倉村・荒井村・北小泉村・南小泉村・芹沢村・山田村・横川村・安原村・阿久津村・根木屋村・下舞木村・上舞木村・下白岩村・白岩村の18村が名前を連ねています。三春町史3巻によれば、明治19年頃の人口は、この中では鷹巣村が733人と飛び抜けて多かったので、18村を代表したようです。18村のうち11村は、現在では郡山市となっていますが、かつてはこのような結びつきがあり、役場や学校などもともに運営していたわけです。この十八ヵ村連合会の議長は、後に岩江村長となる後藤悌吉で、議員としては県会議員も務めた自由民権運動家・大和田広治が名前を連ねており、かつての中妻を知る、興味深い資料の一つです。