文化 ふるさと双葉の歴史・文化 第10回 志賀直哉の一族と双葉

大正から昭和にかけて活躍した小説家・志賀直哉(1883~1971)。宮城で生まれ東京で育った彼は、実は双葉町とも浅からぬ縁があります。
志賀の家は、元は中村藩の武士の家でした。彼の祖父である三左衛門直道(1828~1906)は、藩の命令で二宮尊徳のもとに派遣されて報徳仕法を学んだ人物で、明治維新後も、家令として相馬家に仕えるなどの活躍をしました。明治4年(1871)の廃藩置県を経て、中村藩の武士たちは各地に土着することになりましたが、直道の土着先は新山村(現在の双葉町大字新山)でした。しかし、明治5年(1872)に相馬家より召されて東京に移り住んだため、新山村に住んでいた期間はわずかであったと思われます。ただし、東京に移ってからもしばらくの間住所はそのままにしていたようで、明治6年(1873)の「士族卒名前帳」(『双葉町史・第四巻』、281頁)には、新山村住居の士族として直道の名前が見えます。また、親族である志賀直隆(?~1881ごろ)も新山村に土着していたようで、明治11年(1878)に行われた「麦作収穫総計調」(前掲書、156頁)に、新山村の惣代(代表者)としてその名前が確認できます。
この直隆の子どもに、直方(1879~1937)がいます。直方は3歳の時に両親を亡くしたとされ、その後、直道の養子となりました。彼は志賀直哉の小説にも叔父としてたびたび登場する人物で、また、近衛文麿(1891~1945)の支援者としても活躍しました。直方は東京で育ちましたが、出身地は明らかではありません。しかし、彼が生まれた年を考えると、新山村で生まれた可能性も考えられます。
このように志賀直哉の一族は、双葉町にも深い縁を持っていました。彼らが暮らした痕跡は町にはほとんど残っていませんが、双葉町が志賀直哉のルーツをたどる上で重要な場所であることは間違いありません。