- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県新地町
- 広報紙名 : 広報しんち 令和7年10月5日号
■あんこ地蔵と盆踊り ー300年続く小川の伝統ー
8月17日、小川地区の二羽渡神社で「あんこ地蔵」の供養と盆踊りが行われました。朝から自治会の方々が集まり、女性2人がお地蔵さんの口元にあんこを塗る供養を行いました。塗り進めるうちに、顔は半分があんこで黒く染まりました。その後は、地元の子どもたちが縁日やスイカ割りを楽しみ、夕方からは住民が仮装して盆踊りを盛大に踊り、お地蔵様に感謝を捧げました。
あんこ地蔵の起源は、江戸時代の元禄年間(1688~1704年)にさかのぼります。
全国を巡っていた「家山(かさん)」という和尚が、小川村(当時)の自然と災害の心配がない温暖な気候を気に入り、定住しました。
子ども好きで村人から厚く信頼され、「子安家山坊」とも呼ばれ親しまれたと伝えられています。
晩年、地域の人々を救いたいとの思いから、丸森大内の石工に依頼してお地蔵様を建立。家山は人々の幸せを願いながら永眠しましたが、「小川のあんこ地蔵さま」と親しまれ、時代が移り変わっても小川の人々は家山を忘れることなく、毎年月遅れのお盆にあんこもちを作って地蔵さんにあげ、盆踊りをして供養する習わしが続いています。
この伝統は現在も小川自治会を中心に受け継がれており、約300年にわたって続いています。
歴史に詳しい小野俊雄さん(小川)によると「家山は三重、静岡や神奈川などで暮らしていた記録がある。京都を中心に近畿地方では一般的な行事である子どもの健やかな成長を願う「地蔵盆」をこの地に定着させようとしたと考えられる。また、大きなお地蔵さんの顔にあんこを塗るというユニークさが人々の関心を集め、途切れることなく受け継がれてきた理由だと思う。」と語ります。
小野さんは家山の足跡を調べ、現静岡県伊豆市出身で、全国を巡った僧侶で、宮城県角田市にある長泉寺の第16代の住職を務め、元禄8年に亡くなったことを突き止めました。同寺には墓石が残されています。令和元年に静岡の生家に手紙を送ると、長く受け継がれている伝統にその末裔の一家が感激し、盆踊りに足を運んでくれました。今でもその交流が続いています。
問い合わせ:教育総務課 文化振興係
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