文化 古河歴史見聞録

■「板碑」のはなし
~ただの石の板じゃない~
去る3月、法事のため父の実家へ。お坊さんの供養が済み、さあお墓へ行こう!と仏花、マッチ、お線香そして卒塔婆(そとば)を手に歩いて向かいました。
さて、皆さんは卒塔婆について深く考えたこと、ありますでしょうか。
今回は、中世の卒塔婆「板碑(いたび)」について少しご紹介します。

◇板碑ってなんだろう
板碑は簡単に言うと「卒塔婆の石バージョン」。板状の石でできているため「板石(いたいし)塔婆」とも呼ばれ、亡くなった人の追善供養や「逆修(ぎゃくしゅ)」という生前供養などのために造立されます。
この板碑は全国的に見られますが、特に関東地方に数多く残っています。鎌倉時代から戦国時代にかけて造立されており、市内で現状最も古いものは、文永11(1274)年。なんと今から約750年前! 鎌倉時代のものです。
石材は板状に薄く割れて加工しやすい「緑泥片岩(りょくでいへんがん)」を使用し、青緑がかっている見た目から「青石(あおいし)塔婆」とも言われます。
基本の形は板状で上先端を三角(山型)に加工。上部には二本線が引かれ、四角い枠線が描かれています。
実はこの二本線と枠線、古河で見つかる板碑の多くには描かれていません。地域によって違いがあるのも大変面白いですね。

◇惹(ひ)かれる板碑のビジュアル
板碑について簡単に紹介したところで、お次は板碑に何が書かれているのか見ていきましょう。
まず目に留まるのは上部にある特徴的な模様。なんだかエキゾチックで神聖な雰囲気を感じます。
これは梵字(ぼんじ)といい、仏や菩薩(ぼさつ)を表しています。お寺やお墓で目にすることもあるのではないでしょうか。古河で見つかった板碑のほとんどは、阿弥陀如来(あみだにょらい)を表す梵字が彫られています。梵字は仏像と同じように蓮座に乗っています。
また、笠状の装飾「天蓋(てんがい)」や仏前に花を供えるための「花瓶(けびょう)」などを彫ったものもあり、現在の卒塔婆に比べて見た目が華やかです。
下部には、造立年月日や造立目的、供養する人の法名が彫られています。

◇板碑が存在していたということ
板碑があるということは、周辺に人々が生活し、板碑を造立するという信仰があったことが分かります。
また、板碑の造立には造立者をはじめ、供養に携わった僧侶、板碑を彫る職人さんがいたこと。板碑の原材料である緑泥片岩は、埼玉県の秩父地方で産出される石材なので、古河と産出地を結ぶ流通ルートがあったことなど、さまざまなことが推測できます。
板碑が私たちに伝える情報は大変重要なものなのです。
古河歴史博物館では3基の板碑(複製含む)を展示しています。ビジュアルを楽しむも良し。「この梵字…阿弥陀如来だね…」なんてどや顔で言うも良し。板碑に携わった多くの人に思いをはせるも良し。
皆さまのご来館、板碑と共にお待ちしております。

古河歴史博物館学芸員 齋藤莉瑚