文化 新春対談2026 未来へつなぐ新たな銅像の2人 渋沢栄一翁と渋沢敬三先生を語る(1)

■新春対談2026 未来へつなぐ新たな銅像の2人渋沢栄一翁と渋沢敬三(けいぞう)先生を語る(1)
◆深谷市長:小島進 × 成城大学学長 杉本義行
深谷市では、『青淵(せいえん)渋沢栄一先生像』『祭魚洞(さいぎょどう)渋沢敬三先生像』の銅像を青森県の株式会社三沢奥入瀬(おいらせ)観光開発から寄附を受け、渋沢栄一銅像を市役所本庁舎西側市民広場に、渋沢敬三銅像を旧渋沢邸『中の家(なかんち)』正門南側に移設しました。
今回は、銅像を建立した杉本行雄(すぎもとゆきお)氏のご子息である成城大学の杉本義行(よしゆき)学長を対談相手に迎え、銅像が深谷に移設された意義や渋沢栄一翁、栄一翁の孫で、渋沢家の後継者となった渋沢敬三先生について語り合いました。

《渋沢愛を引き継ぎ、広めていくのは、私の使命です。》
小島進(こじますすむ)(深谷市長)

《栄一翁と敬三先生の銅像が、ここ、深谷に戻ってきました。》
杉本義行(すぎもとよしゆき)(成城大学学長)
1955年生まれ(70歳)、青森県出身
父親は渋沢栄一銅像・渋沢敬三銅像を建立した杉本行雄氏。2022年4月に成城大学学長に就任。専門分野は食料経済学、応用ミクロ経済学。

◆渋沢栄一銅像と渋沢敬三銅像移設に込めた思い
小島市長:今日は深谷へお越しいただき、ありがとうございます。杉本学長は初めて深谷に来たと思いますが、来てみていかがですか。
杉本学長:駅から降りてみると、今日はすごく良い天気で、遠くに山が見えてきて、素晴らしい環境だなと思いました。
小島市長:ありがとうございます。
以前、市議会議員をしていた頃、青森県の古牧(こまき)温泉に何回も行かせていただきました。そのとき、お父様の杉本行雄社長が、古牧温泉のことや小川原(おがら)湖民俗博物館のこ渋沢栄一銅像と渋沢敬三銅像移設に込めた思いとなども、いろいろ説明してくれたのを覚えています。やっぱりすごいかただったのですね。
杉本学長:ありがとうございます。
小島市長:杉本学長、栄一翁の銅像と敬三先生の銅像が深谷市に移設されましたが、率直な感想を教えてください。
杉本学長:栄一翁が生まれ育ち、その精神の原点となったこの地に立つ、栄一翁の銅像と敬三先生の銅像の姿を見て、ふさわしい場所に戻ってきたと心底感じています。
この銅像は、青森の地で30年にわたり、渋沢家の理念を語り続けてきました。これからは深谷の地で、新しい世代に、道徳と経済の両立、そして地域への貢献という、栄一翁と敬三先生の精神を語り続けていくことを願っています。父が生涯をかけて守り、伝えようとした栄一翁と敬三先生の理念が、深谷の地で新たな命を吹き込まれ、継承されることを心よりうれしく思います。
小島市長:ありがとうございます。私は、お父様がそれだけ栄一翁、敬三先生を敬愛していて、心底ほれ込んでいた熱さ、熱意、情熱を、失礼かもしれないし身勝手かもしれないけれど、お父様の渋沢愛を引き継がないといけないと思っています。
先日、銅像の移設作業をしている様子を見ていて、お父様の思いを少しでも深谷市長として受け止め、そして深谷市民の方々も、この渋沢愛を引き継いでいくのだろうなと思いました。

◆栄一翁との縁が育んだ杉本行雄氏の道
小島市長:栄一翁とお父様のエピソードなどを教えてください。
杉本学長:父が栄一翁の書生(しょせい)になったのは、栄一翁が亡くなる約3年前の最晩年の頃でした。そこで書生になったのは、それは素晴らしいご縁、最高の運だと思います。一生であれほどの仕事を成し遂げる人はいないと思うので、短い間でしたが、大変な影響を受け、3年間以上の価値がある、中身の濃い3年間だったと思います。
小島市長:初めてお父様にお会いして、その後、本も読ませていただきました。後に『北の観光王』になり、あれだけ事業を大きくしていったというのは、たかが3年間かもしれないけれど、栄一翁と関わったことで、お父様が学んだものは大きかったのだろうなと思います。
杉本学長:そうだと思います。

《渋沢栄一翁と渋沢敬三先生に仕えた『北の観光王』杉本行雄氏》
[1914(大正3)年~2003(平成15)年]
杉本行雄氏は、渋沢栄一の書生、渋沢敬三の秘書、そして渋沢家の執事を務めました。戦後は敬三の命により『三本木(さんぼんぎ)渋沢農場』の事業清算のため家族で青森県に移住し、三本木商工会議所会頭や十和田(とわだ)観光電鉄社長として地域経済の発展に尽力しました。また、十和田科学博物館や小川原湖民俗博物館を開館しました。その後は、現在の青森県三沢市古間木(ふるまき)で温泉掘削に成功し『古牧(こまき)温泉』と命名、三田綱町(みたつなまち)(東京都港区)の旧渋沢邸を移築して青淵渋沢栄一先生像と祭魚洞渋沢敬三先生像を建立し、『渋沢公園・祭魚洞庭園』を整備しました。東北の観光拠点を築いた『北の観光王』と称され、質素で親しみある人柄は、地域の人々に深く愛されました。