くらし 【特集】今年は「昭和100年」蕨のいま・むかし そして未来へ(2)

綿織物のまち蕨が急速に都市化していった昭和40年頃までを紹介します。

■昭和のはじまり 戦争の時代を超え、復興・成長する蕨
江戸時代の終わりから昭和初期まで、蕨の主要な産業は綿織物業でした。昭和元年の蕨町の人口は7505人。現在の約10分の1にとどまり、今のように住宅が密集するまちではなく、町域の多くが田畑でした。その後、東京からほど近いことから、住宅地としての需要が高まり、住宅営団が現在の南町2・3丁目の一部に880戸という大規模な住宅団地・三和町住宅の建設を開始したのが昭和17年のこと。現在も特徴的な町並みに当時の名残が見られます。
町に軍需工場が複数あったことから、太平洋戦争では県下で2番目に大きな空襲被害を受けました。終戦後、国中が虚脱感に陥るなか、蕨では次代を担う若者たちを勇気づけようと、蕨町青年団が中心となって昭和21年に「青年祭」を企画。その中で行われた「成年式」が、全国で行われている成人式や「成人の日」の由来とされています。
その後、戦後の復興は急ピッチに進みます。昭和26年には中央公民館が開館。また、機織りのまち蕨の歴史に由来し、商工業の発展を願う「機まつり」が始まったのもこの年のことで、今では蕨の夏の風物詩となっています。翌昭和27年には、市立病院の前身となる町立病院が開設されました。
まちの復興、発展と並行して、人口も急激に増加。昭和34年には市制を施行し、蕨市が誕生します。この頃の人口は4万4496人まで増加していました。この急激な人口増加に対応した、上水道や都市ガスなど、生活の基盤となるインフラの整備が進められ、市の機能性が充実していきました。

■Interview
令和7年成年式実行委員長 福田 力(ふくだ りき)さん 塚越5丁目

○伝統ある成年式を誇りに
蕨と言えば「成人式発祥の地」。蕨のことを知らない友人にはそう紹介しています。伝統を守りつつ、時代に合わせた式を作り上げ、更に次の世代に引き継ぐ。今年1月の成年式では、そうした強い思いを持って開会宣言を行いました。緊張もしましたが、自分らしく20歳の節目を迎えることができたと思っています。
蕨は小さいからこそ、まちの一員だという住民一人ひとりの意識が強いと思います。その強い結びつきのなか、青年団の温かな思いによって始まった成年式は今や全国的にも注目される蕨の誇りです。時代を超えて、これからも続いてほしいと思います。

■蕨の人口の推移統計で見る蕨の100年(1)
○蕨の人口推移
大正9年(1920年)の第1回調査以来、国の最も基本的で重要な統計調査として5年ごとに行われる国勢調査を基に、蕨の人口をグラフにしました。第1回調査では蕨町の人口は6,204人。戦後、昭和40年代にかけて急増し、昭和45年調査では77,225人とピークを迎えます。その後は微減・安定傾向にありましたが、近年は増加に転じ、今年11月の住民基本台帳人口では77,218人となっています。