くらし 市長コラム

■「双葉山の目」
幸手市長 木村純夫
不世出の横綱双葉山は、幼少の時、事故で片方の目を失明している。ある日、そのことで母親に、どうしてそうなったか詰問した。その時、母親は「どうして見えなくなったかを考えるより、片方の目を失明していても、目に頼らぬ働きをするにはどうしたらよいかを考えなさい」と、逆に諭したそうだ。大横綱双葉山の原点には、この母親の厳しくも優しい言葉がある。
双葉山は、1939(昭和14年)年1月15日、当時の春場所四日目に70連勝を目前にして安芸ノ海に屈した。その歴史的瞬間を和田信賢アナウンサーは「双葉山敗る。双葉山敗る。時まさに昭和14年1月15日午後6時。旭日昇天まさに69連勝、70連勝を目指して躍進する双葉山、出羽一門の新鋭安芸ノ海に屈す。双葉山70連勝ならず。人生70古来稀なり…」と放送した。
連勝が69で途絶えた日、双葉山は、歴代総理の指南役とも言われ双葉山自身が私淑していた陽明学者・安岡正篤に電報を打った。「われいまだ木鶏(もっけい)たり得ず」と。
「木鶏」とは荘子の言葉で、「真に強い者は敵に対して少しも動じないことのたとえ」である。
人の道で「きわまる」ということが如何に難しいかを噛み締める昨今です。