文化 シリーズ白岡遺産6『白岡遺産ストーリー5』

■領地・領民を想う新井白石と領主を慕う村人

新井白石は、6代将軍徳川家宣の儒臣としてさまざまな政策を繰り出します。正徳の朝鮮通信使来日に際して従五位下筑後守に任ぜられた白石の知行地は、はじめ比企郡の奈良梨(ならなし)村と越畑(おっぱた)村と野牛村の3村で500石でしたが、通信使供応役の功績で相州高座郡に500石加増され、合計1,000石となります。この折白石は、奈良梨村と越畑村を返納し野牛村一村としたい旨願い出て許されています。この時の喜びは、『折たく柴(の記)』にも記されています。
丘陵部で水が冷たいうえに開発の余地がない奈良梨村と越畑村に比べ、日川の運ぶ肥沃な土壌に支えられた野牛村は、排水を行い開発すれば、村高以上の豊かな村にすることができると考えたのでしょう。
白石は、後背湿地の排水路「白石様(殿様)堀」を開削させ、見事な美田に変えたほか、救荒対策として「郷倉」を設け、食糧の備蓄を奨励しています。
白石は、村の鎮守である久伊豆神社の扁額の題字を正徳の朝鮮通信使製述官の李礥(イヒョン)に揮毫してもらい、これをもとに作らせました。この扁額は下書きとともに伝えられているほか、白石5世の子孫新井成美が奉納した肖像画が観福寺に伝えられています。
村人は白石のことを敬愛の念をこめて「筑後様」と呼び、白石顕彰の思いは、毎年命日である5月19日の「筑後様まつり」として継承されて行きます。昭和10年代に途絶えますが、近年、途絶えていた行事が復活したことは、大変喜ばしいことです。
土地改良工事に伴って埋没種子から発生した古代ハスは、中の宮の蓮池で毎年見事な花を咲かせてくれます。白石の時代から連綿と受け継がれた田んぼを大切にする人々の気持ちが一つとなって咲かせた蓮の花だといえましょう。

主な関連文化財群:白石様(殿様)堀、郷倉跡(記念碑)、笠原用水、庄兵衛堀川と庄兵衛堰枠、日川流路跡・自然堤防、姫宮落川、備前堀川石橋供養塔、野牛久伊豆神社扁額・下書き(市指定)、新井白石自筆漢詩(市指定)、紙本着色新井白石画像(市指定)、折たく柴(の記)、大久保家文書(市指定)、久伊豆神社絵馬群、筑後様まつり、観福寺の宝篋印塔

問合せ:生涯学習課文化財保護担当
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