- 発行日 :
- 自治体名 : 神奈川県横須賀市
- 広報紙名 : 広報よこすか 令和7年2月号
■マサおばあ
私の父は、沖縄県宮古島で生まれ育ち、戦後横須賀に来て家庭を持ち、私が生まれた。
長男の父が出て行った後の宮古島で、残されたオバアの面倒や墓守りを一手に担ってくれたのが、父の一番下の妹、マサおばあだった。
彼女自身40代で夫を亡くし、小学校の用務員をしながら女手一つで4人の子供達を育て上げた。その苦労は想像に難くないが、苦労話を聞いた事がない。
私が28歳の時、初めて墓参に行った折り、初対面の私に、「よく来たね。」でも「初めまして」でもなく、優しい笑顔で「おかえり!」と言って迎えてくれた。
マサおばあにとっては、身内が墓参に帰って来たのだから、「おかえり」は、当たり前という感覚だったのだろうが、胸が熱くなった。悩んだり苦しんだ時や、嬉しかった折りには、その「おかえり」が聞きたくて、何度も墓参に足を運んだものだった。
90歳を過ぎても矍鑠(かくしゃく)としていたが、転んで足を骨折してからは、あっという間に弱ってしまい、昨年遂に帰らぬ人となってしまった。
葬儀には公務が立て込んで参列出来なかったが、暮れの29日に時間が作れ、日帰りでお参りに行く事が出来、漸く胸のつかえが下りたような気がした。
それでも、第二の母のような存在を亡くした喪失感は、拭いされなかったが、正月に突然、7歳の孫娘が、「じーじ、マサおばさん、お星様になったの、知ってる?空から皆を見てくれてるから寂しくないよね?」と言ってきた。この言葉に正月早々救われた。
「負うた子、(孫?)に教えられ」とは、この事だろうか。
横須賀市長
上地 克明