文化 往時の姿を現代(いま)に伝える皆春荘(かいしゅんそう)(1)
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- 発行日 :
- 自治体名 : 神奈川県小田原市
- 広報紙名 : 広報小田原 令和7年3月号 第1271号
板橋に残る歴史的建造物・皆春荘は、平成31年2月に市が取得して以降、一般公開を行いながら、保全に向けた整備を進めてきました。
特に庭園と表門を含む玄関アプローチは、皆春荘の重要な構成要素であることから、令和3年から史料や現況などの調査を始め、整備の方針や内容を検討の上、令和6年4月、大規模な整備工事に着手しました。このたび、竣工(しゅんこう)を迎え、3月から公開を再開します。
〈公開開始日〉
3月5日水曜日
〈公開日〉
毎週水曜日~日曜日、祝日・休日(月曜日・火曜日が祝日・休日の場合は、翌平日休館)
〈公開時間〉
午前11時~午後4時
(令和7年3月のみ午前10時~)
◆往時の姿を現代に伝える皆春荘
《皆春荘の歴史》
皆春荘(かいしゅんそう)は、幕末から明治・大正期にかけて活躍した政治家・山縣有朋(やまがたありとも)の邸宅・古稀庵(こきあん)の別庵です。山縣と親交の深かった政治家・清浦奎吾(きようらけいご)が、明治後期~大正前期ごろに別邸として建てましたが、その後、南側に隣接していた古稀庵の一部となりました。
当時、70歳を迎えながらも政界への影響力を持ち続けていた山縣。多くの政界関係者が小田原を訪れた「小田原詣で」は、古稀庵で応対していたと考えられています。一方、皆春荘では毎年、観月会を開催するなど、山縣がごく親しい人たちと過ごすプライベートな空間となっていたと伝わっています。
《庭園の価値》
皆春荘の庭園は、山縣が自ら庭師に作庭を指揮したといわれています。山縣が政治家として活躍したことは広く知られていますが、実は数多く所有した邸宅のほとんどに庭園を造るなど、日本庭園に造詣が深いという一面もありました。どの庭園も一貫して、ありのままの自然を庭園に生かし、表現したことがよく分かる造りで、皆春荘もその自然趣味を存分に発揮した庭園であったことがうかがえます。
《よみがえる往時の姿》
整備前の状況を調査すると、経年により庭園の意匠が損なわれているだけでなく、劣化により表門の倒壊の恐れがあるなど、さまざまな課題を抱えていたことが分かりました。
今回の工事では「山縣の自然観と作庭観を現代に伝える庭園の復元」をテーマとして、過去の調査で判明した景観を可能な限り復元し、後世に受け継ぐ整備と、公共施設としての利用しやすさや安全性を高める整備を行いました。
整備後は、庭園の特徴である流れのある水景※や借景になっている山々の眺望をご覧いただける他、表門の部材の補修や入れ替えと屋根の修復を行ったことで、安全にご利用いただけます。また、駐車スペースの舗装とバリアフリールートの設置により、配慮が必要な人にも訪れやすい庭園になりました。
大規模な整備工事により、庭園の環境は変わりましたが、良好な景観を保ち育てるためには、日常管理の中で手間暇をかけて、少しずつ樹木や芝生を整えていかなければなりません。また、表門は、雨風にさらされる中で引き続き屋根や部材の劣化が進みます。今の形を完成とするのではなく、これからも日々丁寧に手を加えながら、あるべき姿とその価値を伝えていきます。
※施設管理の都合上、水は不定期で流す予定です。
《山縣三名園の一つ・椿山荘》
東京都目白にあった椿山荘(現ホテル椿山荘(ちんざんそう)東京、東京都文京区関口2-10-8)は、古稀庵を造営する前から、山縣が長年住んでいた本邸でした。当時の建物こそ失われましたが、広大な敷地に造られた庭園には、山縣が生み出した名所がいまだ残ります。
山縣ゆかりの庭園があることをきっかけに、市では、令和6年2月にホテル椿山荘東京と包括連携協定を締結しました。庭園の文化的価値を共有することによる地域活性化や市民サービスの向上を目的として「デザインマンホールの設置」や「ほたるの幼虫放流式」など、さまざまな連携事業を進めています。
◆皆春荘の庭園の特徴
山縣の作庭観は、近代の庭園様式に影響を与えたと考えられています。以下は皆春荘の特徴ですが、山縣が作庭を指揮した他の庭園でも、似た特徴を見ることができます。
ー流れのある水景ー
山から裾に広がる河川を想起させるように、滝から水が噴き出し、下流はさらさらと流れます。
ー穏やかな水の流れー
ー借景ー
借景とは、敷地外の自然の風景を、庭園の景観の一部に見せる手法です。皆春荘では箱根山や石垣山を望むことができます。かつては、相模湾を見下ろすこともできたようですが、現在は、木々の隙間からかすかに見える程度です。
ー紅葉ー
表門から玄関前にかけて、来客を迎えるように紅葉が植えられている他、庭園の滝口付近にも植えられており、11月下旬から12月上旬ごろには赤く色づきます。