文化 ふるさと昔 よもやま話(161)

■「佐田の七不思議」の由来
近年盆踊りの「すてな踊り」が低調になりつつあることから、その復活を期して有志一同が2013年に「佐田伝統文化保存会」を結成し、早や10年が過ぎました。「ただ、旧来の伝統文化の保存に絞った文化活動では、幅広い共感を得られない」「文化活動は常にクリエイティブ(創造的)でなければ躍動的とは言えない」との考えから、地域おこし策の一環として、当地の七不思議の提案を佐田区にも諮り、了承を得て、2021年に次の「佐田の七不思議」を作成しました。
まず、当区の呼称として「2つの名前(佐田・織田(おった))を持つ村」をはじめ、地形上の不思議として(2)「海岸段丘(だんきゅう)と河岸段丘」や(3)「伏流水(ふくりゅうすい)と相の木清水(きしょうず)」をあげ、(4)「杯状穴石(はいじょうけっせき)」や(5)「重軽(おもかる)さん」(6)「疣(いぼ)取り地蔵」(7)「河童伝説(河童の詫び証文・河童相撲)」等、区内に散在する石造遺物や伝説が選ばれています。さらに番外編として、敦賀市関地籍の「波よけ地蔵」と金田嘉兵衛家の屋敷内にあるイチョウと枝垂れ桜の「連理(れんり)の木」を制定しています。
番外編の「波よけ地蔵」は若越国境にあり、かつて大津波が峠にまで押し寄せてきたとの伝説があります。拙宅の「連理の木」は、30数年以前に宇治にある平等院の庭園に落ちていた紅葉の種子をまいたもので、その根元に枝垂れ桜の種子が芽を出し、異種の樹木が合体したものです。普通は先祖返りして直幹になりますが、毎年見事な枝垂れ桜を開花させます。
七不思議中でも、一番ポピュラーなのは金瀬川河口に棲んでいるという河童、地元では「ガワタロ」と呼ばれている水辺の妖怪です。当地では、二度と人間に悪さをしないという「河童の詫び証文」と、相撲が好きな河童に頓智(とんち)で勝ったという「河童相撲」の伝説が旧家、吉岡又右衛門家に伝わってきました。佐田伝統文化保存会では「河童踊り(振付・中野健治)」と「河童の川太郎」(作詞作曲・鈴木寿紀)、河童の風車(折り紙)等も考案し、普及に努めています。いずれ、織田神社の恵比寿祭りに併せて河童祭りが発案されれば幸いです。
さて、美浜町でも町おこしの為に「美浜の七不思議」を作られてはいかがでしょう。あなたの七不思議は何を思い浮かべられますか。
(町文化財保護委員会 委員長 金田 久璋)