文化 ほくと歴史めぐり

■北杜市に残された ヘビにまつわる文化財
令和7年が始まって早くも3カ月が経過しました。少し遅くなりましたが、今回は今年の干支にちなみ、北杜市に残るヘビ(巳・蛇)にまつわる文化財を紹介します。

○「巳待(みまち)」の痕跡を伝える石塔
昨年、小淵沢町松向で〈巳祭供養〉と刻まれた石塔が新たに発見されました(写真1)。石塔には文化6年の銘があることから、巳年の1809年に作られたものであることがわかります。巳祭供養塔および類似の石塔は、山梨県全体ではほとんど見ることができず、北杜市内では松向のものが4例目になります。
では、そもそも「巳祭」とは何なのでしょうか。巳祭は巳待や巳待講とも呼ばれ、巳の日もしくは前日の辰の日に人々が集まり、共同祈願や飲食をして夜を明かす信仰行事です。巳の日は弁財天の縁日であり、弁財天は一般的に技芸・学問や音楽、加えて福神として信仰されています。また、本来水神でもある弁財天は蛇体の姿で描かれることも多く、蛇が脱皮する様子から、巳年には前年の厄を払う・変革するという信仰も生まれました。松向の巳祭供養塔は、厄払い・変革の年である巳年の巳祭実施記念に建立されたものと思われます。

○近代に作られた蛇の石像
明治時代以降には、特徴的な蛇の石像が登場しました。明治32年の銘があるこの石像は、小淵沢町岩窪にある諏訪神社南西の路傍に現在も建っています(写真2)。
この石像の類例は山梨県内には全く見られませんが、酷似したデザインのものが長野県伊那地方に多く分布しています。そうした伊那地方の蛇像は、蚕をネズミの食害から守るために養蚕農家が蛇を信仰し、建てたものでした。伊那地方の蛇像は岩窪のものとデザインおよび年代が非常に近く、何らかの関連を感じさせます。岩窪の蛇像が建てられた明治後期が、小淵沢を含む北杜市域でも養蚕が盛んになっていた時期であったことを考慮すると、伊那地方のものと同様、岩窪の蛇像も養蚕の守り神として建てられたものかもしれません。

写真1:松向の巳祭供養塔
裏面には、供養塔が立地するS家の先祖を含む男性4人の名前がある。
高さ約150cm、幅約28cm。

写真2:岩窪の蛇の石像
高さ約43cm、幅約30cm。

※写真は本紙26ページをご覧ください。

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