文化 文化なかの「公民館報」No.242 ~ふるさとの歴史

■地域の希望をつないできた「古牧橋」
最近、千曲川の治水対策プロジェクトに関連して、壁田と蓮を結ぶ「古牧橋」の架け替えが話題になっている。
この場所には、かつて「腰巻(こしまき)の渡し」があり、2艘(そう)の渡し舟が常に待機していた。江戸時代には、飯山藩が参勤交代で利用していたという。
明治時代に入ると、千曲川流域の各地で橋が架けられるようになり、腰巻の渡しもその例外ではなかった。
1876年には、地元の有志によって舟橋会社が設立され、長さ約117メートル、幅約3.6メートルの腰巻舟橋が架けられた。『長野県町村誌』には、「舟二十一艘鉄鎖を以て繋ぐ。明治九年七月十日舟橋落成す」と記されている。21艘の舟を鉄の鎖でつなぎ合わせ、その上に板を並べて橋としたものであった
しかしその後、舟橋は度々流され、地元への負担が大きくなった。また、1950年代に入ると自動車の交通量が増加し、永久橋の建設が望まれるようになった。
その結果、1959年4月に永久橋の建設が開始され、1963年11月に完成した。地元住民の長年の願いがかなった瞬間であった。
その後、橋の名称は「腰巻橋」から「古牧橋」へと変更され、さらに橋の上流側には歩道橋が架けられ、現在に至っている。
このように、古牧橋は長い歴史を持つが、建設から60年以上が経過し、老朽化が進んでいることから、新しい橋の建設が期待されている。

寺島正友「高井」会長