文化 物知り先生のふるさと情報

■恵那の大地の歴史
その二 海と湖、大河の時代も
恵那地史研究会 古山享嗣(きょうじ)さん

前回、中生代後半(8500万年前)に恵那市で起きた大噴火について話しました。新生代(6500万年前)になると、激しい火山活動は収まります。
約2000万年前、プレートの運動により日本列島は、アジア大陸から切り離され、日本海が形成されました。約1700万年前には、現在の東海地方にも海が入り込み、恵那の一部も海に覆われました。岩村町や山岡町では、クジラの化石が発掘されています。
その後、入り込んだ海は次第に退き、現在のような陸地となりました。しかし500万年前、現在の伊勢湾付近から「東海湖」と呼ばれる大きな湖が広がり、現在の岩村町や山岡町を覆いました。その時の地層には陶土層(粘土層)が含まれており、現在でも大井町や東野、中津川市板橋などで見ることができます。山岡町の陶土層は東濃地方の陶器の原材料として使われ、陶業産業を支えてきました。また、東海湖が広がっていた地域と天然記念物の「シデコブシ」や「ハナノキ」、「ヒトツバタゴ」の分布地域が重なっており相関関係があるのではないかと考えられています。
250~400万年前には、古木曽川(※1)や古飛騨川が南へ砂やれきを運び、恵那や中津川の盆地内に「土岐砂れき層」を形成しました。帯水層の役割を果たす土岐砂れき層には、地下水が豊富に含まれています。市内の丘陵地で井戸水が得られる地域が多いのはこのためだといわれています。

※1 現在の阿木川や佐々良木川はまだ存在せず、古木曽川が恵那の南の方へと流れていました