文化 未来に繋(つな)ぐ みのかもの70年 第15回

■「過去から学ぶ災害対策―9・28災害を教訓として―」
木曽川という大河を眼下に望み、急峻(きゅうしゅん)な山地や支流を併せ持つ美濃加茂市は、これまで幾度とない風水害を経験してきました。市制が施行されて間もない昭和29年7月にも市内全域に被害を出した豪雨があり、市内では応急工事が進められるとともに、所得税の減免措置などがとられました。
その後も伊勢湾台風(昭和34年9月)、第2室戸台風(昭和36年9月)、8・17災害(昭和43年8月)など、現在でも語り継がれるような天災が多発し、その度に、市では災害に対応するための恒常的な制度づくりや都市基盤の整備が模索されていきました。
特に昭和58年、台風10号によってもたらされた9・28災害は、市全体で防災・減災を考えていく上で大きな出来事でした。木曽川の氾濫によって総世帯数の15%が被害を被ったこの未曽有の出来事は、市民にとって災害意識を高めるきっかけとなり、市としても堅固なインフラの整備や情報伝達制度の確立、地域での防災組織づくりなどが急がれることとなります。
昭和42年11月に着手されながらも無堤に近かった美濃加茂・坂祝地区の木曽川の護岸工事もこれを機に急速に進められていきました。昭和59年には太田小学校、中濃体育館(現プラザちゅうたい)、市役所の3カ所に浸水位を示す災害標柱が設置され、災害のあった事実を伝えながら、災害時のダム放流による水位上昇を日頃から意識するための実用的な役割も期待されています。
災害から4年後、昭和62年には市民とともに知識を深める「忘れ得ぬ災害シンポジウム」が文化会館で開催され、現在でも定期的に災害の写真展示や講演会などの催しが続けられています。このように過去の経験から得た教訓から学び、それを共有していくことが、将来起こりうる災害を予期し、適切に対処していくための重要な一歩となることでしょう。

◆[Pick Up]「文化財の防災」
9・28災害で大きな被害を受けた旧太田脇本陣林(はやし)家住宅(国重要文化財)は、昭和59年2月から国の指導による全面解体修理が行われます。復元は嘉永3年の古図による組み立てを基本としながらも、床下浸水を防ぐため建物を約15センチ地上げし、屋根は防火面から銅板葺にするなどの変更も施されました。地域の文化交流の中心であった太田宿を代表する建物は、元の威容を保ちながら、将来に継承していくために災害を予期した設備が整えられたのです。

問合せ:みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム
【電話】28-1110