- 発行日 :
- 自治体名 : 岐阜県可児市
- 広報紙名 : 広報かに 令和7年9月号
可児市のじまんとほこりVol.3 歴史じまん
■すごいpoint
・高さが111.5cm、重さが24.45kgもある大きな銅鐸だよ。
・今から約1800年前に作られたんだ。
・可児郷土歴史館に展示されているよ。
江戸時代の享保18年(1733)に、久々利の丘陵地で銅鐸が出土しました。この銅鐸は、出土地の地名を取って、「久々利銅鐸」と呼ばれています。
現在の高さは111.5cm、重さは24.45kgで、今までに日本全国で見つかった銅鐸の中でも特に大きな物です。一部が欠けていますが、表面を見ると細かな文様が表現されています。
久々利銅鐸は、今から約1800年前の弥生時代に作られたと考えられています。さびて緑色をしていますが、作られた当時は、神秘的な金銅色(こんどうしょく)の輝きを放っていました。
弥生時代の可児には、このような立派な銅鐸を持つことができる豊かなムラ(村)があったのかもしれません。
■銅鐸は何に使われていた?
銅鐸が何に使われていたのかという「謎」については、さまざまな説があります。
「作物がたくさん採れるように」「雨が降るように」「災害が起こらないように」など、当時の人々の思いを込めたお祭りや儀式の道具だったという説。
また、悪いものの進入を防ぐために、ムラの境界の山などに埋めたという説もありますが、はっきりとは分かっていません。
■「聞く銅鐸」と「見る銅鐸」
初期の銅鐸は小さな物で、楽器のように鳴らす道具として使われていました。銅鐸の内側に「舌(ぜつ)」という棒のような物がぶら下がっていて、ベルのように鳴らしたと考えられています。これは「聞く銅鐸」と呼ばれるものです。
その後、次第に大きな銅鐸が作られるようになり、鳴らすための「舌」がなくなってしまいます。これは「見る銅鐸」と呼ばれるものです。久々利銅鐸は、日本最大級の「見る銅鐸」であり、岐阜県の重要文化財に指定されています。
※本記事は、「可児市のじまんとほこり2025」から、一部編集を加えて転載したものです。
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