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■濃飛バスの成り立ちについて町史を読んでみました

今月は、私たちの生活に欠かせない公共交通について特集しています。今回は、その中でも多くの方が利用されている「濃飛バス」がどのようにして生まれ、発展してきたのかを、昭和40年に発行された町史をひもときながらご紹介いたします。

○濃飛バスの成り立ち
今からおよそ80年前の昭和18年4月1日のことです。当時、白川、黒川、蘇原の地域では、それぞれ別の会社が定期バスを運行していました。しかし、太平洋戦争の影響を受け、これらの3つのバス会社が一つにまとまり、「濃飛バス」が誕生したのです。
同時に、「濃飛自動車株式会社白川口営業所」が白川口駅前に置かれ、それまでそれぞれの会社が運行していたバス路線を引き継ぎました。これが、私たちが今利用している濃飛バスの始まりです。
濃飛バスが一つになってから、地域の皆さんのために、次々と新しい路線が作られたり、既存の路線が延長されたりしました。これにより、私たちの町から各地へ、より便利に移動できるようになったことが分かります。
また、昭和41年には、濃飛バスが保有する車両の数は27両にもなりました。この中には観光バスも含まれており、岐阜や名古屋方面だけでなく、京都、奈良、大阪、伊勢といった遠方への日帰り旅行も企画されていたようです。当時の人々にとって、バスは大切な移動手段であり、観光を楽しむための足でもあったのですね。

濃飛バスは、地域の発展とともに、私たちの生活に寄り添いながら変化してきたことが、町史の記述から改めて分かりました。これからも、地域の足として、末永く活躍してくれることを願っています。