文化 歴史の小箱 No.436

■割れた茶碗を繋ぐこと
皆さんは家庭で日常使いの茶碗が割れたらどうしますか。おそらく大部分の人が「捨てる」と答えると思います。今では割れた茶碗を捨てるのは当たり前の行為ですが、昭和の初めころまでは、接着して再利用することが一般に行われていました。
陶磁器を接着する方法には、大きく分けて鎹継(かすがいつ)ぎ、漆継(うるしつ)ぎ、焼継(やきつ)ぎの三種類があります。鎹継ぎは文字通り鎹によって留める方法です。武骨で美しいとは言い難い外観ですが、逆に茶道具では景色(器物の表面の面白みや美しさ)として珍重される場合もあります。次に漆継ぎですが、こちらも読んで字のごとく漆で接着する方法です。割れ口に塗った漆の跡が黒い線になって残り、見た目があまりよくありません。この線の上に金を蒔(ま)いて上品に化粧したのが金継(きんつ)ぎです。そして焼継ぎは、白玉粉(しらたまこ)と呼ばれるガラス粉末を接着剤として塗った後に、窯で焼いてガラスを溶かして接着する方法です。
記録によると、焼継ぎは江戸では一七九〇年頃から始まりました。接着力が強くて丈夫な上に、値段は新しい碗や皿を買うよりもずっと安価だったので、急速に普及して陶磁器店の売り上げが減少するほどの人気だったそうです。2月号(No.434)で紹介した山中新田の発掘調査でも、江戸時代末期から明治時代に焼継ぎを施した碗や皿が多数出土しています。
写真の器の表面に見える細い線が焼継ぎの痕跡ですが、その後新しくできた割れ口は焼き継いだ場所とは異なる位置にできており、継いだ部分に十分な強度があったことがわかります。中央左の碗はガラス成分がしっかり溶けて透明化しているので、細い線のようになっていてあまり目立ちませんが、左端の皿は焼継ぎの跡がみみず腫ばれのように白く太い線となって残っています。職人の腕の良し悪しが分かります。
またこれらの器には「山中角や」「水戸屋」「〇みとや」「山中伊勢や」と、集落名や屋号が朱色の文字で書かれています。これは、外回りの人が割れた器を集めて回り、工房で職人が一括して作業を行うような商売形態をとっていたため、器を返却する際に困らないように、書き込んだ文字と考えられています。一方、江戸や京阪では焼継ぎ職人が道具一式を天秤棒(てんびんぼう)に担いで回り、出先で作業を行ったことが記録に残っています。そのため所有者を識別するような文字を記入した例はほとんどありません。山中新田の集落と江戸では同じ商売でも営業形態が違っていたようです。
※写真は本紙27ページをご覧ください。

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