- 発行日 :
- 自治体名 : 静岡県富士宮市
- 広報紙名 : 広報ふじのみや (令和7年6月号)
歴史・文化は、先人たちの生きた時代の中で生まれ、今日まで守り伝えられてきた貴重な財産です。
富士宮市には、世界遺産「富士山」をはじめ、富士山の恵みを受けたさまざまな歴史・文化が受け継がれています。
大切に守られ、伝えられてきた財産を、私たちはこれからも後世に引き継いでいく必要があります。
■歴史・文化を伝える 文化財
富士宮市には、縄文時代から現在に至るまでの歴史・文化を知る多くの文化財が残されています。
市の埋蔵文化財センターなどに保存されている文化財の一部を紹介します。
◇国指定史跡 大鹿窪遺跡
大鹿窪遺跡は、縄文時代草創期(約16,000~11,500年前)の遺跡で、平成20年に国史跡に指定されました。
この時代を知る手がかりとなる、全国的にも数少ない文化財の一つで、国内最多の竪穴住居の跡が発見されています。出土した文化財から、人々が定住しながら狩猟・採集する生活を送り始めた様子や集落のあり方を知ることができます。
黒曜石で作られた石器の多くが神津島産(現在の東京都)であり、広い範囲で交流があったことがわかります。
◇富士の巻狩と曽我物語
鎌倉幕府の初代将軍となった源頼朝が、富士の巻狩※を行う最中、曽我兄弟が父の仇の工藤祐経(頼朝の寵臣)を討つという事件が起こりました。この曽我兄弟の仇討ち事件は、日本三大仇討ちの一つといわれ、曽我物語として広まりました。
明治時代に描かれた浮世絵「曽我物語之内夜討」をはじめ、市には屏風や錦絵など曽我物語に関する資料が保存されています。
※イノシシやシカなどの獲物を大勢で四方から取り囲み、追い詰めて射止める狩りのこと
◇徳川家康と北山(本門寺)用水
富士宮市では、富士山の湧水に恵まれる地域が多い一方で、水源や川がない地域では天水(雨水)に頼る生活が長く続いており、江戸時代から明治時代にかけて、水のない土地を開発するために、芝川や潤井川などの河川や湧水を水源に多くの用水が開削されました。
北山(本門寺)用水は、徳川家康が戦のお守りとして北山本門寺から借用した御本尊(鉄砲曼荼羅)が身代わりとなって命を救ったお礼に、家臣の井出正次に命じて、整備されたといわれています。江戸時代には北山のほか、外神、宮原、山宮、万野原新田まで広げられました。
北山用水絵図は、江戸時代の末期に描かれたもので、当時の用水整備の工法などがわかる貴重な資料です。
虫害などの被害を防ぐため、毎年くん蒸し、維持・保存に努めています。
この他にも、毎月の広報紙「歩く博物館」などで紹介するように、歴史・文化を知るさまざまな手がかりが残されています。
問合せ:文化課
【電話】22-1187