文化 伊賀の歴史余話 42

■昭和17年、戦地での日記より
太平洋戦争の終戦から80年が過ぎました。記憶の風化が叫ばれるなか、近年注目されているのが、日記や手紙などのエゴ·ドキュメントと呼ばれる歴史資料です。そこには、私的な文書だからこそ知り得る戦時下を生きた人びとの本音が語られています。今回は、戦争の最前線にいた兵士の日記を紹介します。
大正7(1918)年に上野忍町で生まれた森藤久利は、昭和17(1942)年1月、駆逐艦「追風(おいて)」の電信兵として、連合艦隊の拠点が置かれることになる南太平洋のトラック島(現チューク諸島)にいました。そんな彼のもとに日本から日記帳が届きます。『折角はるばると内地から送ってきた懐かしい日記帳であって見れば、書かざるを得ない』と書き始めた日記には、軍隊での生活が生々しく記されています。
過酷で、時に理不尽な軍隊生活における数少ない楽しみは、妻や故郷から届く手紙でした。それでも自室で一人になった時に襲いくる不安には『故国の誰彼の古い郵便物を拡げてみたりして気分をまぎらわせてみるものの全くどう仕様もない』と記しています。
彼がいた場所は、目の前で艦船が沈み、仲間が敵弾に倒れる紛れもない戦場だったのです。日記には『万歳の声に送られて上野を発った日。今日感激と云ふ程のものからは余りに遠い感情』といった言葉も見られます。日記からは、郷里を離れた日に思いを巡らせ、現実と葛藤する姿が浮かびます。
そして、ふと将来に思いをはせて『再び和平廻り来るの日かかる南の地に遊ぶことのありやなしや』と書き残した彼は、昭和20(1945)年3月、輸送艦で沖縄へ向けて出撃中に帰らぬ人となりました。彼が戦地で紡いだ感情が交錯した言葉の数々は、時を経てもなお私たちに平和の尊さを示しています。

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