文化 戦後80年 世代を超えて語り継ぐ平和への願い

今年、戦後80年という節目を迎えます。
遠い昔のようでありながら、今も戦争の痕跡が残り、人々の記憶の中には、あの日の出来事が深く刻まれています。

■「戦争に呑まれた日常 川越町の記憶」
太平洋戦争の拡大にともない、川越町(当時は川越村)でも町の風景と人々の暮らしは大きく変わりました。
平和産業として地域を支えてきた織布工場や漁網製造所は、国の命令により軍需工場へと転換され、軍服や魚雷用の網の製造に追われるようになりました。
多くの成人男性が兵役にとられ人手不足となった工場では、女学生や、四日市市内の学校からも学徒動員で川越町の工場に送られ、学業を断たれて働かされました。戦時物資確保のために発令された「金属類回収令」では、一色薬師堂にあった鉄製の柵や、町内の寺院の梵鐘も供出されました。こうして町の信仰や文化の象徴が、戦争の名のもとに姿を消していき、静かだった日常は戦争に呑み込まれ、町の産業、教育、信仰までもが戦争の一部と化していきました。
『川越町史』より

■語り継ぐ記憶「あの時 私たちは」
(川越町郷土資料館ボランティア「越史の会〜つなぎの輪〜」活動記録より)
当時の川越町周辺の様子を知る方々に話を伺いました。
昭子さん(仮名・当時19歳)
功さん(仮名・当時17歳)
清さん(仮名・当時18歳)

▽功さん
わたしは高等小学校2年生の14歳で兵役に志願しました。出征して生きて帰ってくると「なんで帰ってきたんだ!」って叱られ、帰ってきても数日後にまた飛行機が与えられて戦地に行くことになりました。

▽清さん
あのころはみんな「お国のために」って頑張っていたと思います。今の若い人は、「拒否したらよかったのに」と言いますが、そんな時代じゃありませんでした。

▽功さん
特攻隊も志願したように言われていますが上官から「行け!」と言われて一歩前にでると、志願したことになっていました。今では考えられませんが、死んで当たり前の時代でした。

▽昭子さん
空襲はとても怖かったことを覚えています。特に1トン爆弾が頭上を飛んだときが本当に怖くて、空を見ると大きな飛行機が来ていて「ジャーーー」って音が忘れられません。

▽功さん
焼夷弾の落ちてくる「ザーーー」って音も怖かった。四日市への空襲のながれで大矢知から豊田あたりは焼夷弾が落ちたと思います。

▽昭子さん
豊田には中島飛行機が、朝日町には東芝があったので両方が狙われていました。忘れもしない昭和20年5月17日の朝2時ごろに空襲警報が出て「爆弾が落ちてくるから布団をかぶって逃げろ」と言われましたが、焼夷弾が頭をかすめて髪が燃えてしまった。あれは本当に怖かった。

▽清さん
私の妹は、空襲から逃げるときにはおんぶしてもらえるのを知っていて、普段からおんぶしてほしくて「おばさん空襲やで」ってわざと帯を持っておばさんのところに行っていました。親も大変で子どもにかまってあげられなかったので甘えたかったのだと思います。

▽昭子さん
小学校でも避難訓練で、隊列を組んでいると集中射撃されます。サイレンが鳴ったらどこにでも逃げなければいけませんでした。家の外には水が用意してあって、避難する時には手拭いを濡らして頭からかぶらないと髪に火がついてしまう。「桶に水をためておけ」「手拭いはいつも首に巻いておけ」など大切なことは家の人から教えてもらいました。

▽清さん
本当につらかった思い出しかありません。あんな時代は二度と繰り返してほしくないと思います。

■失われた命に祈りを 町の慰霊の歩み
▽令和7年度戦没者追悼式
日時:11月8日(土)10時30分〜(予定)
場所:川越町あいあいホール
戦没者へ哀悼の誠を捧げ、悲惨な戦争を再び繰り返さないよう恒久平和を祈念し、戦没者追悼式を挙行します。また、小中学生による平和学習体験及び平和をテーマにした作文の発表を行います。

▽小学生による広島市訪問
町は昭和63年9月に全世界の核兵器全面禁止・廃絶を求めた非核平和都市宣言をいたしました。毎年、夏休みに町内の小学6年生を対象とした広島市訪問を行っており、核兵器による戦争の悲惨さを後世に伝え、平和への意識を高めるための啓発事業を行っています。

▽終戦の日の平和祈念事業
毎年8月15日正午に終戦と恒久平和を祈念し役場庁舎にて黙とうを捧げます。各地区にも慰霊碑がありますので、恒久平和への願いを込めて足を運んでみてはいかがですか。

■原爆展と戦争体験者の思いの上映
日時:7月23日(水)〜8月15日(金)8時30分〜17時15分(土・日曜日・祝日を除く)
場所:役場1階町民ホール
原爆が投下された当時の様子を撮影した写真などを展示し、核兵器の恐ろしさとかけがえのない平和を祈念し原爆展を行います。今年度より戦争体験者の思いを集めたDVDの上映を合わせて行います。

■未来へ平和のバトンをつなぐ
戦後80年を迎えた今、平和の大切さはより一層重みを増しています。当時を記憶する方々から貴重な体験を拝聴する機会も少なくなるなか、過去を学び、語り継ぎ、命の尊さを次の世代に伝えること。それが、私たちにできる「平和への貢献」です。
この町から戦争のない世界、誰もが安心して暮らせる未来へ向けて、一歩ずつ歩みを進めていきましょう。

問合せ先:福祉課
【電話】366・7116