文化 ふるさと再発見 Re:discovery Omihachiman 第77回

■文化財の保存修理(2)小田神社楼門
今回は重要文化財の一つ、小田神社楼門の保存修理事業を紹介します。
小田神社は、市域南部に位置する小田町の集落中央にあり、小田町・十王町・江頭町の三町の産土神(うぶすながみ)として祭られ、中世の荘園である「邇保庄(にぼのしょう)」の惣鎮守(そうちんじゅ)といわれています。
創建については諸説がありますが、神社に伝わる「小田神社由緒記」、「邇保惣社小田大明神社記」にそれぞれ伝承が残されています。「小田神社由緒記」には、垂仁天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が天皇の命により伊勢神宮の宮地を探してこの地へ辿り着き、伊勢神宮に献供する稲田を開墾し、伊勢宮を建てたとあり、これが神社の始まりだといわれています。これに対し「邇保惣社小田大明神社記」では、欽明天皇の時代に鎮座し、元正天皇の養老2(718)年に社殿を創建したと伝えられています。なお、昭和61年に拝殿の建て替えに伴って実施された寺田遺跡の発掘調査において、10世紀後半から11世紀初めの「神殿」と墨書のある須恵器杯(すえきつき)が出土しており、遅くとも平安時代末期頃には神社に伴う何らかの建物がこの場所に存在していたことが分かっています。
楼門は、間口が三間で中央に板戸の扉を持つ三間一戸(さんげんいっこ)楼門で、入母屋造(いりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。様式・手法等から室町時代前期の建立と考えられており、大正6(1917)年4月5日に特別保護建造物(現在の重要文化財に相当)に指定されました。楼門は建立された後、寛永、寛文、文化年間に大小の修理が実施されたと考えられており、その結果写真(1)のような姿をしていました。昭和17年に実施された解体修理では、屋根を茅(かや)葺から檜皮葺にするなど、従来の姿へ復原・整備されました。さらに、昭和58年にも屋根葺き替え修理を行っており、現在は写真(2)のような姿となっています。
最後の修理から40年が経過した楼門は、材料の経年劣化や自然環境等の影響を受けて、屋根檜皮葺の平葺や軒付全体に腐朽、破損が生じているほか、一部の木部が破損し、二階軒廻りの胡粉(ごふん)塗り部分の塗装に剥落がみられるなど、建物全体が老朽化した状態でした。そのため、令和6・7年度の2か年計画で保存修理事業を実施することに。令和6年度は、国の指針に基づいて建物の耐震診断・地盤調査を実施し、自然災害からの影響を最小限と出来るよう対策を検討しました。令和7年度は、屋根檜皮葺の葺き替えを中心に、腐朽破損している木部や建具、金具部分の修理や剥落している塗装の塗り直し、耐震補強工事を行います。
これらの修理は、文化財的価値を損なわないよう、部材なども状態別に区分し補修を行った上で、出来る限り再利用していく予定です。令和8年4月頃には修理を終えますので、ぜひ一度足をお運びください。

写真(1)大正14年撮影の小田神社楼門
写真(2)現在の小田神社楼門
※写真は本紙をご覧ください