文化 KUSATSU 歴史ギャラリー No.209

■草津宿本陣に伝わる史料の代表格
史跡草津宿本陣は、昨年6月1日から休館し実施していた耐震工事を終え、4月1日(火)から一般公開を再開します。再び皆さんに見学してもらえることになり、これまでにも増して草津宿本陣に親しみ、ともに盛り立ててもらえればと思います。

ここで改めて、草津宿本陣について簡単に紹介しましょう。

江戸時代の「本陣」は、街道を往来する人々のうち、大名や公家など身分の高い人が利用した休泊施設です。原則一日一組貸し切りで、小休み(小休憩)や昼食、宿泊など、休泊者の旅程によってさまざまな利用がありました。草津宿本陣が本陣職を勤めたのは、参勤交代制度が整えられた寛永12(1635)年ごろから、本陣の名目が廃止される明治3(1870)年までとされています。本陣廃止後も、明治天皇らにより、わずかながら休泊の利用がありました。その後は郡役所、公民館などに利用されながら、草津宿本陣当主によって大切に受け継がれています。

草津宿本陣には、近世以降の文書・典籍・美術工芸など、多岐に渡る資料が15,000点以上も残されています。中でも代表的かつ重要な史料が「大福帳」です。

草津宿本陣の大福帳は、元禄5(1692)年から明治7(1874)年に至る183年間にわたって、各年1冊、計181冊※が残されていて、年代順に15個の木箱に入れて保管されています。これだけまとまった形で残る例は珍しく、火災や水害から免れたことは奇跡ともいえるでしょう。

さらに特筆すべきはその内容です。一般に大福帳といえば、商家の経営に関する帳簿などを指します。一方で、草津宿本陣の大福帳は、休泊や下賜品を記録する宿帳としての役割が中心です。それに加えて、草津宿の通行の記録、奉公人の給金など本陣経営の帳簿としての役割も併せ持ち、内容は多岐に渡ります。休泊関係の項目では、休泊の日時や名前、下賜品とともに、休泊に係るさまざまな事柄が書き留められ、本陣経営や休泊のシステム、草津宿の歴史を知ることのできる貴重かつ重要な史料です。

草津宿本陣の常設展示では「大福帳」を常に数冊紹介しています。著名な歴史上の人物の休泊記録や、草津宿・草津宿本陣で起こったさまざまな出来事に触れ、江戸時代の休泊者がどのように過ごしたのか想像するのも一興です。
※元禄7(1694)年、明治6(1873)年分は現存しない

問合せ:草津宿街道交流館(草津三)
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