文化 町史編さんだよりVol.76

大正4年(1915)に民間飛行場として設営された八日市飛行場は、第一次世界大戦のあと次第に陸軍省の支配下に取りこまれていきました。大正11年(1922)4月25日、甲式練習機三八号は飛行演習中に高度300mから墜落、航空第3大隊の森特務曹長が八日市飛行隊における最初の犠牲者となりました。このニュースは市井の人々に大きな衝撃を与えたようで、当時の新聞にも大きく取り上げられています。どのような経緯か、大破した機体のプロペラの一部が、石畑区に伝えられた古文書類の中から見つかっています。

戦後80年を迎え、豊郷に残る戦争の記録をシリーズでお伝えします。ご自宅に資料がございましたら、ご連絡ください。

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