くらし 特集 わたしたちの「戦後80年」─ 語ろう、忘れないために ─(2)

◆きっかけは母の姿 学ぶほど伝えたくなる
福知山市出身・在住
舞鶴引揚記念館の語り部
酒井優珠(さかいゆず)さん(21)

福知山駅から車で約1時間。舞鶴引揚記念館では、終戦の混乱の中、旧満州や朝鮮半島などから命がけで日本に戻る「引き揚げ」を経験した約660万人
―中でも、極寒の地で過酷な生活を強いられたシベリア抑留者の記憶を伝えています。
福知山市出身・在住の酒井優珠さんは、中学生の頃から学生語り部として引揚記念館で活動しています。
今回、酒井さんに、語り部として歩んできた道のりと平和への思いをうかがいました。

○若き語り部 引き揚げの歴史を学び、語る
中学2年生の冬、酒井さんは語り部として活動を始めました。
「すでに語り部だった母が記念館で活動する姿を見て、私もあんなふうになりたいと思い、養成講座を経て語り部になりました」
記念館では、語り部がそれぞれ説明できる展示の担当から始め、少しずつ案内できる範囲を広げていく仕組みがあります。
酒井さんが最初に案内できるようになったのは、シベリア抑留者が寝泊まりしていた場所の体験室でした。そこは、初めて記念館を訪れた小学校6年生のとき、抑留者の模型や当時の寒さを再現した空間に強い衝撃を受けた場所でした。
「いざ語る立場になってみると、衝撃を受けた部屋だからこそ、言葉に熱が入りました。来館者に私の思いが伝わっていくのを感じ、次第に別の展示も語れるようになりたいと思うようになりました」
酒井さんは、学校の勉強をする間に引き揚げの歴史を学び続けました。
「初めて館内全ての案内ができたのは、高1の10月、福知山から児童館の子どもたちが来たときです。どうしたら興味を持ってもらえるか、家で母にも相談しながら、事前にたくさん考えました。当日は小学生たちが、説明する私を見ながら真剣な表情でメモをとっていて、学んでいることが伝わってきました。それがめっちゃ嬉しかったです」

○記憶をつながなくては
「語り部として活動していく中で、もっと学びたいという気持ちが芽生えて、福知山市の平和学習事業にも応募しました。中学と高校で広島、長崎、沖縄に行きました。
現地に立って初めて、資料だけでは想像できなかった景色や空気を肌で感じました。学びが深まるほど、『戦争の記憶を次の世代につながなくては』という思いが強くなりました」
酒井さんはこの春、社会人になりましたが、語り部の活動は続けたいと話します。
「語り続ける中で、平和の大切さを何度も実感してきました。その思いを、1人でも多くの人と分かち合いたいと思っています。ぜひ一度、記念館にお越しください。シベリア抑留の歴史を通して、いまの平和な暮らしの尊さに気づくきっかけになるはずです」

■満州に取り残された福知山の人たち
○行政が満州移民を募集
昭和初期、農地不足を背景に、国の方針で満州への移民と開拓が計画されました。
1940年には満州天田郷建設計画を天田郡・福知山市が行い、43年までに総勢164人が満州に移りました。
しかし、その先にあったのは、想像とは真逆の苛烈な現実でした。戦局の悪化とともに男性は次々と出征していきました。

○ソ連が満州へ進軍を開始 村を捨てて逃げる
1945年8月9日、ソ連が対日宣戦布告と共に満州へ進撃。終戦の日には村に残された115人が村を捨てて帰国の途を探しました。満州に移った164人のうち75人が死亡、7人が残留、12人が行方不明として記録されています。帰還した70人の中には、1年以上帰国できなかった人もいました。

■語りの輪、広がる夏
○記憶が薄れていく前に─
遺族会三和支部が49人の思いを冊子に
福知山市遺族会三和支部が、地域の戦没者とその家族の声を記念誌「いのち永遠に」としてまとめました。
きっかけは、ある遺族の人が戦争体験を話そうとしたとき、記憶があいまいになっていると気づいたことでした。
「大切なことが語られないまま忘れられてしまう」。そんな危機感から、制作が決まりました。
9人の編集委員が、49人の証言を3年かけて集めました。戦争で命を落とした家族への思い、戦争体験者の長年語ることができなかった苦しみなどがつづられています。

〔一緒に取材した高校生の声〕
こんなにも身近に、戦争に関わる語り継がれるべき話がたくさんあることに驚きました。記憶を残し、語り継ぐ大切さを考える機会になりました
インターンシップに来ていた 大江高校2年生 中村彩希(なかむらさき)さん

○戦時中に「タイムスリップ」
記念誌をきっかけに生まれた語りの場
7月16日から8月9日にかけて、旧川合小学校で平和企画「戦争タイムスリッパー」が行われています。語りや遺品展示を通して、記憶に触れられる場です。
記念誌「いのち永遠に」に感銘を受けた三和学園地域講師の吉田武彦(よしだたけひこ)さんが「記憶を地域に共有したい」と遺族会三和支部に働きかけて企画し、夏休みの開催にこぎつけました。
80代や90代の人から戦争に翻弄された生の暮らしの記憶が語られるなど、日替わりで語り部が登場。「子どもたちが心に残してくれたら、それだけで意味がある」と吉田さん。語りがまちに広がっています。