文化 文化財めぐり 462

■丹波亀山城と鯱瓦
大給松平氏に次いで亀山城主となったのは、菅沼氏でした。菅沼氏は、三河国(現在の愛知県)出身で、関ケ原の戦以前から徳川氏(松平氏)に仕えたいわゆる譜代大名家で、寛永十一年(一六三四)に丹波亀山城主として菅沼定芳(すがぬま さだよし)が入城します。
菅沼氏の城主時代の特筆すべき事象として『正保城絵図』が作成されたことが挙げられます。『正保城絵図』は、江戸幕府が正保元年(一六四四)から全国の城を調査し、天守等の建造物や堀、土塁などの高さや幅等を詳細に調査・書き記したもので、丹波亀山城にとっても、現存最古の城絵図として貴重な史料となっています。
さて、この丹波亀山城絵図で注目されるのは、天守の屋根に鯱瓦が描かれている点です。幕末に制作され、天守に掲げられた鯱瓦については、明治六年(一八七三)の亀山城廃城後に京都の商人を通じて京都療病院(現在の京都府立医科大学)へ寄付されたものが、今年京都府立医科大学から亀岡市へ寄贈されました。
『正保城絵図』に天守鯱瓦が描かれていることは、天守鯱瓦が城の創建時から掲げられていたことを示すもので、鯱瓦制作の歴史的由緒を裏付けるものと言えます。