文化 文化財めぐり 463

■亀山城主菅沼氏の治世
二代で改易となった菅沼氏ですが、亀岡市域には菅沼氏の亀山城主時代に発給された文書等が多く残されています。
鍬山神社には、菅沼定芳が矢田八幡宮に対し、「矢田郷」内から十石を寄進した寄進状が伝わっています。また同神社の塔頭蔵林院では、息子の定昭が重病を患った際に定芳が回復を願って祈祷をお願いしており、回復した御礼として定昭の寿像(生前の肖像画)を作成し、当院へ寄進したことが伝わっています。
本画像は、狩野派の絵師によるものと推測されており(『亀岡の名宝』)、市内伝来の絵画資料としても貴重なものといえます。
保津村の庄屋に対しては、諸役を免除する代わりに「筏之儀」をしっかり勤めるよう指示した文書を与えており、薭田野町の独鈷投山千手寺には、開基堂改修に菅沼氏が寄進していたことを示す棟札が残されています。
このように十三年余りという短い期間でありましたが、菅沼氏は亀岡市域で積極的に活動していたことがうかがえます。菅沼氏親子の墓石である五輪塔は、曹洞宗宗堅寺の惣構跡に築かれ、現在では惣構跡とともに亀岡市指定文化財・京都府暫定登録文化財に指定・登録されています。