くらし 新春対談企画 枚方市長 伏見 隆×デザイナー コシノジュンコ さん(2)

■万博を2度できたことが大阪発展の証し

市長
本日はお忙しい中、枚方に足を運んでくださりありがとうございます。この度は文化勲章の受章、誠におめでとうございます。

コシノジュンコさん(以下、コシノ)
ありがとうございます。本当にこれ以上ない、素晴らしい勲章をいただくことができました。私の場合、きっかけはファッションですけれど、それだけにとどまらずデザイナーとしていろいろなジャンルにも挑戦してきたことが、文化の発展につながったと評価していただけたのかなと思いますね。デザインって単純な言葉ですけれど、ファッションのことだけでなく生活全体、つまり文化的な事柄をいかに美しく合理的にするかということなんです。文化勲章は夢のまた夢でしたから、本当にうれしいです。

市長
ニュースで知ったときは、私もとてもうれしくなりました。先日、大阪・関西万博の閉幕日にお会いしましたが、大阪・関西万博といえば、コシノさんは開催の6年前からアドバイザーとして関わっておられました。また、1970年に大阪で初めて開催された万博でもパビリオンのユニホームを手掛けられるなど、大阪での2度の万博に携わられています。そんなコシノさんが、それぞれの万博で印象に残っていることはありますか?

コシノ
1970年の万博は「まっさら」でした。世界とのつながりをどのようにすればいいかもわからない時代で、とにかく何をやっても新しい。私がユニホームをデザインした3つのパビリオンはコンセプトも依頼した人も全く違ったので、とても大変でしたけれど、同時に全てが挑戦と発見の場でした。夢中で取り組んでいましたね。

市長
私は当時2歳でしたが、映像を見るだけでも当時のエネルギーが伝わってきます。2025年の万博はいかがでしたか?

コシノ
今回は「大人」の万博だと思います。大阪で2度目の万博を開催できたことこそが、55年間、人やまちが発展してきた証拠で、とても大きなことだと思います。2度の万博を経験できた都市は多くはありませんから。ただ、万博そのものの在り方は大きく変わっていないんです。万博の面白さは、世界の文化が一気にやってきて、公平に見せられること。万博会場では世界の境界線はありません。安全面で実際には訪れることが難しい国の文化にも気軽に触れられる。そうすると、万博会場のように世界も平和になるんじゃないかって思わせてくれるんです。

市長
さまざまな国の文化を体験することで、海外との距離が近くなったような気がしますよね。私も、友好都市のオーストラリア・ローガン市長とパビリオンを一緒に回って、インドネシア館ではインドネシアの方も含めて3者で交流しました。他にもチェコは、これまで関わりはなかったのですが、万博のため来日されているときに知り合ったんです。今後も、このつながりを大切にして、例えば市内企業と海外企業の経済交流など、さまざまな機会をつくっていきたいと思っています。

■理屈ではなく体験できる機会を

コシノ
世界とつながった経験は、特に子どもたちにとって、すごく大きいと思うんです。例えばヨルダン館では、現地の砂漠の砂を実際に持ってきて、来館者はその上を歩くことができた。そういうことを子どもの頃に体験すると、将来ヨルダンに行ってみようとか、世界を身近に感じるようになるかもしれない。他にも建築を見て建築家になりたいとか、何かに目覚めるきっかけがたくさんあるのが万博なんです。

市長
本当にそう思います。枚方市からも、学校単位で万博に行くだけでなく、ブラスバンドの演奏や廃材を使って作った未来のまちの展示など、子どもたちが万博会場の中で表現する取り組みをたくさん行ってきました。また、多くの市民や事業者との共創による地域経済活性化やまちの愛着向上に取り組んだ「ひらかた万博」では、市の地域資源を生かし創出した特産品や、市内の盆踊りチームが披露する河内音頭の源流「交野節」など、市の魅力を万博会場から世界に向けて発信したんです。そういった企業や団体を支援する市の取り組みが評価されて、博覧会協会が行うアワード企画(※)では自治体で唯一「共創パートナー賞」を受賞することができました。子どもだけでなく大人も、万博での体験で何かに目覚めてもらえていたらうれしいですね。
※万博のテーマに沿ったプログラム「TEAM EXPO 2025」で実施された投票企画「みんなで選ぶ!TEAM EXPO」

コシノ
またこれからの55年につながる、大きな経験になったと思いますよ。

市長
子どもの頃の経験は、特に将来に影響するとお話しいただきましたが、コシノさんはご自身の幼少期の経験で、今につながっていると感じることはありますか?

コシノ
私はやっぱり、だんじり祭りですね。高校生の頃までだんじりの綱の先頭を持って走っていました。今でもその勢いみたいなものが、体に刻みこまれています。昔、パリで仕事をしているときは、毎年行われる大きなイベントがだんじり祭りの日程と重なっていてずっと行けなかったんです。そんなある年、仕事がうまくいかず、とても落ち込んじゃって。思わず実家に電話をして、太鼓や笛、お囃子を電話越しに聞かせてもらったら涙が出てきてね。それくらい、私にとってだんじり祭りは今も昔も大切なものなんです。市長は幼少期の頃は何かに熱中していましたか?

市長
私は小学生の頃から野球に熱中していました。今でもスポーツは全般的に好きですね。子どもの頃にしていた好きなことは、大人になっても変わらないなと思います。

コシノ
そうですね。でも、好きなことでなくても、子どもの頃の経験は大人になったときにすごく影響しますよ。私の母は洋裁店を営んでいましたが、そのお客様のところにたくさん習い事に行きました。お琴とかお茶とかね。母が勝手に決めるので、好きも嫌いもなく、長くは続きませんでしたが、それでも当時の経験で身に付いた基礎が、大人になってからすごく糧になっていると感じます。今考えたら本当に良かったですね。

市長
感受性が強い子どもの頃の経験は、とても印象に残りますよね。

コシノ
そうですね。万博もそうですけれど、子どもの頃は特に理屈ではなくて体験なんです。いろいろな体験をさせてあげると、自分の好きなものに目覚める。だから何でもやってみること。それと、大人が子どもを褒めてあげることも大事ですね。私は昔から絵を描くことが好きですけれど、そのきっかけは学校の先生に「それいいね」って褒められたことなんです。褒めてもらったときにポンポンと肩をたたかれた感触が、今でも残っている。それがずっと自分の自信になっているんです。